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千葉地方裁判所 平成9年(わ)1666号 判決

目次

被告人等の表示

主文

理由

(犯行に至る経緯)

(犯罪事実)

(証拠の標目)

(争点に対する判断)

第一 公訴棄却の申立てについて

第二 事実認定の補足説明

一 緒言

二 被告人と犯人の同一性

1 被告人の入国の経緯及び夫の甲野との生活状況

2 被告人が乙山と同棲するに至った経緯及び乙山とその妻との離婚交渉の行方

3 被告人と乙山の生活状況

4 本件殺人事件発生前後の被告人及び関係者の行動

(一) 一一月八日(土曜日)の状況

(二) 一一月九日(日曜日)の状況

(三) 本件殺人事件通報時及びその前後の被告人の言動

5 死体及び現場の状況

6 凶器及びボウルの発見状況

7 被告人の着衣への血痕付着状況

8 被告人の甲野に対する犯行告白

(一) 甲野の検察官に対する供述調書の証拠能力

(二) 甲野の検察官に対する供述調書の信用性

(1) 甲野供述の大要

(2) 甲野供述の信用性

(3) 甲野供述の信用性に関する弁護人の主張と検討

9 被告人による乙山方からの現金の持ち出し

10 被告人の行動の不自然性

(一) 病室で一夜を過ごして帰宅しなかったことの不自然性

(二) 一一月一〇日早朝に速やかに帰宅せず留守番電話にメッセージを入れていることの不自然性

(三) 通報の遅延及び病院関係者を現場に案内したことの不自然性

11 被告人の自白

(一) 自白内容の要旨

(二) 上申書及び自白調書の証拠能力

(1) 主要な争点

(2) 自白法則の適用の有無

(3) 違法収集証拠排除の一般原則の適用の有無

ア 任意同行の経緯

イ 任意取調べから逮捕に至るまでの経緯

ウ 宿泊・監視等の措置をとった状況

エ 取調手続の違法性

オ 取調手続の違法の程度

(4) 小括

(三) 自白の信用性

(1) 自白の経緯及び自白時の言動

ア 上申書作成の経緯

イ 検察庁における弁解録取時(一一月二〇日)の自白状況及び二通目の調書(否認調書)が作成された経緯

ⅰ 自白の状況

ⅱ 二通目の調書(否認調書)が作成された経緯

ウ 検察庁におけるその後の取調時(一一月二四日)の自白状況

エ 被告人が検察官の面前で否認に転じた時期及びその際の状況

オ 取調官の証言の信用性

カ 結語

(2) 自白内容の合理性

ア 自白の変動の有無及び変動の合理性

イ 動機の合理性

ウ 自白内容の合理性

エ 結語

(3) 体験供述性

ア 本件における体験供述性とその特徴

イ 情景描写及び秘密の暴露と被告人の基本的な供述姿勢等

ウ 不可思議な行動についての合理的な説明

エ 結語

(4) 自白と客観的証拠との符合性

ア 自白と被告人の着衣への血痕付着状況との符合性

イ 自白による犯行時刻と死亡推定時刻との符合性

ⅰ 自白による犯行時刻

ⅱ 法医学の専門家の死亡推定時刻に関する所見

ⅲ 各所見の検討

ⅳ 結語

ウ 自白による動機と創傷の数、程度との符合性

エ 自白による犯行態様と創傷の部位、程度及び数との符合性

ⅰ 腰部の創傷の不存在とその他の部位の多数の創傷についての合理的な説明

ⅱ 後頸部刺創の時期及び乙山の防御的行動

ⅲ 乙山の抵抗状況等についての合理的説明

オ 自白と弁護人の主張するその他の客観的証拠との符合性

ⅰ 包丁の柄の状態との符合性

ⅱ 包丁の発見された場所との符合性

ⅲ 掛け布団の損傷痕及び足跡様の痕跡との符合性

ⅳ ルミノール反応と被告人の行動との符合性

(5) 被告人の弁解の不自然性・不合理性・虚偽性

ア アリバイについての弁解の不自然性・不合理性

イ 上申書の記載内容に関する被告人の弁解の不自然性・不合理性

ウ 捜査及び公判段階におけるその他の弁解の不自然性・不合理性・虚偽性

ⅰ 乙山の被告人に対する不満の様子等の有無に関する弁解の不自然性

ⅱ 発見時に乙山の死亡を認識しなかった旨の弁解の不自然性・不合理性

ⅲ 着衣への血痕付着状況についての弁解の不自然性・不合理性・虚偽性

ⅳ ボウルについての認識の有無に関する弁解の不自然性・不合理性

ⅴ 病院関係者らに対する言動の有無に関する弁解の不自然性・虚偽性

ⅵ 乙山の妻が犯行現場に来たと思った旨の弁解の不自然性

(6) 小括

12 総括

三 殺意の認定

四 結論

(法令の適用)

(量刑の事情)

主文

被告人を懲役八年に処する。

未決勾留日数中五〇〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、日本国籍を有する甲野太郎(以下「甲野」ということがある。)と婚姻し、長女花子を育てながら千葉県松戸市内のスナックでホステスとして働いていた。被告人は、平成九年四月ころから右スナックのなじみ客である乙山次郎(以下「乙山」ということがある。)と親密な仲となった。被告人は、粗暴で家庭を顧みない甲野に対して愛想を尽かしており、乙山が同年八月下旬ころに妻と別居するようになると、当時四歳の長女を連れて甲野のもとを去り、松戸市内の乙山方で乙山と同棲を始めた。

被告人は、同年一〇月下旬ころ、甲野の要望により長女を甲野のもとに戻し、以後、乙山と二人で生活し、乙山とはいずれ結婚しようと考えていた。しかし、乙山は、妻との離婚に踏み切れず、同年一一月一五日に妻と会って離婚についての話合いをする約束をしていた。被告人は、甲野に対する愛情は冷めていたものの、長女の将来のためにも元のさやに納まってほしいとの甲野の申出と乙山に対する愛情との狭間で、講ずべき手立てについて思い悩んでいた。

被告人は、同年一一月八日、甲野から、長女の容態が悪いとの電話を受けて松戸市内の甲野方に行き、翌九日の午前二時ころ、乙山に車で迎えに来てもらって帰宅した。被告人は、同日の夕刻、甲野から、長女が病院に運ばれたと伝えられ、二度にわたり病院に出掛け、その後乙山方に戻っていたが、同日午後一〇時三五分過ぎころ、長女の容態が悪化して緊急処置室に運ばれた旨を甲野から電話で知らされて動揺し、急いで外出しようとした。

一方、乙山は、甲野及び長女のもとに再三にわたり出掛けようとする被告人の行動に不満を募らせ、外出しようとする被告人を制止し、その際、被告人に対し、「行くなら別れよう。」などと言い、さらに、「子供は死ねばいい。」などと繰り返して言った。それがきっかけとなって、被告人と乙山は、台所付近で激しいけんか口論をした。被告人は、乙山が被告人を外出させまいとしてその手を強く引っ張り、その両肩を押して台所の流し台に体を押し付けたため、台所にあった三徳包丁で乙山を威嚇したが、乙山からその包丁を取り上げられそうになった。

(犯罪事実)

被告人は、病院に行かせまいとして、別れ話や長女の死まで口にした乙山の情の無い言動に逆上し、前記のようなけんか口論の末、平成九年一一月九日午後一〇時三六分過ぎころから同日午後一一時の少し前ころまでの間に、千葉県松戸市日暮〈番地略〉乙山方において、乙山次郎(当時三〇歳)に対し、殺意をもって、その頭部、頸部、背部等を前記三徳包丁(刃体の長さ約16.7センチメートル、平成一〇年押第四七号の1)で突き刺すなどした。その結果、被告人は、そのころ、同所において、乙山を頸部刺創による脳障害(延髄切断)により死亡させて殺害した。

(証拠の標目)〈省略〉

(争点に対する判断)

第一  公訴棄却の申立てについて

弁護人は、①犯行日時が「一一月九日ころ」というのは訴因として不特定であること、②本件捜査には重大な違法があることをそれぞれ指摘し、本件公訴が無効であるから棄却されるべきであると主張する。

まず、①の主張について検討するに、起訴状の公訴事実の記載の程度で審判の対象は限定されており、被告人の防御の範囲も明らかであるから、弁護人の右主張は採用できず、この点については、当裁判所が既に第一回公判において、公訴を棄却しない旨の判断を示している。

次に、②の主張について検討するに、被告人に対する本件取調手続は、後述のとおり違法なものといわざるを得ないが、捜査手続の違法が必ずしも公訴提起の効力を当然に失わせるものでないことは、検察官の極めて広範な裁量に係る公訴提起の性質にかんがみ明らかである。現行刑事訴訟法の解釈としても、検察官の公訴提起に関する裁量権の逸脱が公訴提起を無効ならしめるのは、例えば、公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られると解されている(最高裁昭和五五年一二月一七日第一小法廷決定・刑集三四巻七号六七二頁)。そこで、右見解を前提として関係証拠を検討してみても、本件公訴を無効として棄却しなければならないような事情は認められない。したがって、弁護人の右主張も採用できない。

第二  事実認定の補足説明

一  緒言

被告人は、本件公訴事実について、被告人にとって乙山は大事な人であるから殺してはいないと弁解し、弁護人も、被告人は公訴事実に係る行為を一切しておらず、被告人は無罪であると主張する。

当裁判所は、被告人が、判示の経緯から、同棲中の乙山を殺害したものと認定した。被告人が犯人であることを認定するための証拠としては、犯行を認める被告人自筆の上申書及び自白調書といった直接証拠も存在するが、弁護人及び被告人がその任意性及び信用性を争っている。そこで、まず、被告人の捜査段階の自白を除いた他の客観証拠等(格別争いのない事実、同意されている書証及び第三者の公判供述等を含む。)によって認められる諸事実を基軸に据えた上、上申書及び自白調書の任意性及び信用性にも検討を加えることによって、被告人を犯人と認定した理由を補足して説明することとする。

二 被告人と犯人の同一性

本件殺人事件発生の背景には、被告人の結婚生活の破綻、被告人の長女に対する愛情とその養育をめぐる夫との葛藤、被告人の乙山との同棲及び乙山とその妻との離婚の蓋然性等の複雑な事情が伏在している。そこで、以上の背景となる諸般の事情を考慮に入れつつ、被告人と犯人の同一性について、順次検討を加える。

1  被告人の入国の経緯及び夫の甲野との生活状況

関係証拠(以下、関係証拠の一部を適宜挙示することがある。)によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 被告人は、フィリピン共和国で出生し、マニラ市周辺で育ち、昭和六二年(当時一四歳)ころから平成三年ころまでの間に、三回、本邦への入出国を繰り返し、ショータイムのある店でダンサーなどをして稼働していた(被告人の公判供述)。

(二) 被告人は、平成三年一一月一五日、日本国籍を有する甲野とフィリピン国内で婚姻し、同月二八日、甲野と共に本邦へ入国し、以後、本邦から出国していない。被告人は、平成五年三月二七日、長女を出産し、その後、甲野及び長女と共に松戸市内のマンション(以下「甲野方」という。)に居住し、平成九年三月ころからは、同市内のスナックでホステスとして稼働していた(被告人の公判供述、甲62、乙13)。

(三) 一方、長年にわたりフィリピンパブで働いたことのある甲野は、平成九年六月ころには、再びフィリピンパブの従業員として働くようになり、夕刻に自宅を出て翌朝の午前六時ころ帰宅するという不規則な生活を送るようになった。ところで、甲野は、被告人の堅実さに欠けたホステスとしての生活振りに不満を抱いていた。そして、甲野は、被告人が気の強い性格で、甲野の指示に逆らったり、口答えをすることもあったため、そのような態度に腹を立てて、ささいなことから被告人に暴力を振るうことがあった。被告人も、甲野の被告人に対する暴力や家庭を顧みない行動に嫌気が差し、甲野に対する愛情も次第に冷めていった(証人甲野太郎の当公判廷における供述及び第三回公判調書中の同人の供述部分(以下、いずれも「甲野証言」と略称する。)、甲60、66、乙10)。

(四) 被告人は、平成九年四月以降になると、長女につらく当たったり、鋭い目つきで意味不明なことを言ったり、甲野に対して荒々しく食ってかかるというような態度を示すこともあった。さらに、被告人は、情緒不安定な状態に陥り、例えば、甲野の職場に急に電話し、「私、怖い。寂しい。」などと言い、甲野が職場を抜け出して帰宅してみると、全裸で汗をたらたらと流し、うつろな目をして泣きながら、甲野に対して「パパ」と言うなどの異常な言動を示したこともあった。このようにして、被告人と甲野との仲は破綻の方向に向かっていった(甲野証言)。

2  被告人が乙山と同棲するに至った経緯及び乙山とその妻との離婚交渉の行方

(一) 被告人は、平成九年三月ころ、前記スナックに客として訪れた乙山に好意を抱き、同年四月ころには乙山と肉体関係を伴う親密な仲となった(被告人の公判供述、甲54、乙10)。

(二) 乙山は、当時、不動産管理会社で経理等を担当する常務取締役をしており、平成八年六月に婚姻したばかりの妻春子と共に松戸市内の判示○○ビルの五階(以下「乙山方」という。)に居住していた。乙山は、性格が几帳面な上、明るく社交的であったが、やや短気なところもあり、特に家庭内では、思いどおりにならないと暴言を吐いてテレビを持ち上げてその場に落下させ、電気スタンドや洋服のハンガーを折り、電話機を壊すなどの粗暴な振る舞いをすることもあった。また、乙山は、婚姻前から消費者金融に対する多額の借金があり、その一部を春子の父に返済してもらったこともあった(証人乙山春子の当公判廷における供述(以下「春子証言」という。)、甲53、56)。

(三) 春子は、乙山が平成九年三月下旬ころから朝帰りをするようになったことなどから浮気をしているのではないかと感じ、興信所の調査で乙山が被告人と親しく交際していることを突き止めた。そして、春子は、乙山の持ち物を調べた際、乙山が相変わらず消費者金融から多額の借金をしていることを知った。春子は、乙山に直接真相を問いただしたが、被告人との関係については、単なる家族ぐるみの付き合いで浮気などはしておらず、その夫がひどい人なので相談に乗ってやっているだけであるなどと弁解していた。しかし、乙山は、実際のところは、被告人との親密の度をますます深めて被告人を妊娠させるなどし、同年七月ころには、被告人に八万円を渡して中絶手術をさせていた(甲56、乙10)。

(四) 乙山春子は、乙山の生活態度が改まらなかったところから、二人の関係を修復できないと感じ、平成九年八月下旬ころ、乙山方を出て仙台の実家に身を寄せ、同年一〇月には仙台で乙山と会い、署名済みの離婚届用紙を差し出して離婚の話を持ち出した。ところが、結婚後間もない離婚は世間体が悪いと考えてか、乙山が春子に対してしばらく実家で休養を取るように促して離婚を渋り、離婚届用紙をいったん持ち帰るように説得したため、離婚の話はまとまらなかった。そして、両名の間では、同年一一月一五日に乙山方で会って離婚に関する話合いを再度持つという約束が交わされていた(春子証言)。

(五) 一方、被告人は、平成九年九月初めころ、甲野に置き手紙を残し、長女を連れて甲野方を出て乙山方において乙山と同棲を始めた。被告人は、乙山が同年一一月一五日に乙山方で春子と会って離婚について話し合う約束をしていることは分かっていた(被告人の公判供述、乙10)。

3  被告人と乙山の生活状況

(一) 被告人は、乙山との同棲生活を開始してからは乙山の身の回りの世話などをして過ごしていたが、乙山からは生活費や小遣いを渡されることはなく、生活に必要な費用は、使途を定められてその都度乙山から与えられていた。それでも被告人は、乙山が被告人に対するサービス精神が旺盛で、被告人と長女を旅行に連れ出したりすることもあって、甲野のもとを去ったころとは比較にならないほど楽しい日々を過ごすことができた(被告人の公判供述、乙7、8、12)。

(二) しかし、被告人は、長女のしつけにいら立ち、長女を激しくたたいてせっかんをすることもあった。また、被告人と乙山は、金銭的な問題でけんかをすることもあり、隣室の住人が、本件発生の一〇日ほど前に、「俺に金がないことは分かっているだろう。」などと被告人を大声で怒鳴りつける乙山の声や被告人の鳴咽に近い声を、ダイニングテーブルが引きずられるような音と併せて聞いている(証人坂本美紀の当公判廷における供述)。

(三) 被告人は、平成九年一〇月下旬ころ、甲野から、長女を戻してほしいと要望されて長女をいったん甲野に引き渡し、それ以降は乙山と二人で生活をしていた。被告人は、将来は、乙山と結婚して、長女と共に三人で暮らすことを夢見ていたが、長女を甲野から取り戻す方法について乙山と相談した際、乙山が真剣に考えてくれる素振りを見せなかったため、乙山が長女を交えた三人の生活よりも、被告人との二人だけの生活を望んでいるように感じたことがあった(甲野証言、乙7、8)。

4  本件殺人事件発生前後の被告人及び関係者の行動

(一) 一一月八日(土曜日)の状況

(1) 平成九年一一月八日、甲野が長女にぜん息に効く粉薬を飲ませようとしたが嫌がったのでしかりつけたところ、長女が被告人をひどく恋しがった。そこで、甲野は、思い切って被告人の居場所を訪ねてみる気になった。甲野は、以前、被告人の知人らしき人物から電話連絡を受け、その際、その人物から、被告人のおよその居場所を知らされていたので、それを頼りに乙山方を捜し当て、同日午前一〇時ころ、長女を伴って乙山方を訪れた(甲野証言)。

(2) 被告人は、甲野が訪れたことに驚き、既に出勤していた乙山に直ちに電話をかけて甲野の来訪を告げたところ、乙山は、被告人が甲野を部屋に入れたことについて怒っていた。甲野は、被告人と電話を代わり、「もし、遊びだったり、軽い気持ちだったなら、娘もいるし、私も妻が生き甲斐なので、妻を帰してほしい。」などと乙山に言った。乙山は、「夏子(被告人のこと。以下同じ。)に旦那と子供がいることは知らなかった。最初は夏子が独身だと思っていた。後から子供がいるということは聞いた。」などと弁明するにとどまり、被告人との将来については明確な返答をしなかった。被告人は、甲野が乙山と電話をしている最中に、その傍らで、「私は帰らない。私は、新しい道を選んだの。」などと言い、甲野のもとには戻るつもりがないという態度をとっていた。そして、被告人は、甲野が電話を切った後、甲野に別れる意思を伝え、甲野は、その時は観念したように見えたので、再び乙山に電話をしてその旨を伝えた。甲野は、再びその電話に出て、乙山に対し、「妻は、あなたと一緒に住むか、自分一人でやっていくと言っている。私が色々言ってもしょうがないことが分かった。妻のビザが来年四月に切れると思うのでビザの手続の方はお願いします。」などと乙山に伝えた。乙山は、落ち着いた感じで、しかも丁寧な口調で、「私は、今は深くは考えていません。私も妻と離婚していませんし、今は色々な問題があります。」などと甲野に釈明した。甲野と乙山の電話でのやり取りは比較的冷静で、両名が電話で怒鳴り合ったり、けんか口論をしたというようなことはなかった。なお、被告人は、乙山から、当日午前一一時ころに勤務先の上司のマンションから段ボール箱を運ぶ作業を手伝ってほしい旨依頼されていたが、久しぶりに会った長女とひとときを過ごしたかったため、乙山との通話の際に、依頼されていた仕事を断った(被告人の公判供述、甲野証言、甲63、乙7、8)。

(3) その後、被告人と甲野は、同日正午前ころ、喫茶店に行った。被告人は、喫茶店において、春子の作成した乙山あての手紙の文面を甲野に見せ、甲野からその内容を説明してもらった。その手紙は、春子が乙山方を出たころに作成されたものであり、乙山との共同生活をやり直すことに含みをもたせる趣旨のものであった。甲野は、被告人に対し、これまでに暴力を振るったことや家族への愛情が欠けていた点を改めて謝罪したが、結局、お互いに別の道を行くということになり、考えが変われば連絡を取り合うということでその場の話は終わった。甲野は、喫茶店を出た後、自宅に戻り、熊本県水俣市に住む甲野の母親に電話し、長女の具合があまり良くないことを話した(甲野証言、甲63)。

(4) 被告人は、同日午後一一時四〇分ころ、甲野から、長女の容態が悪くなった旨の電話連絡を受けたため、甲野の家の近くまで乙山に車で送ってもらって長女の様子を見に行き、その後、乙山に車で迎えに来てもらい、翌日午前二時ころ甲野方から帰宅した(乙7、8)。

(二) 一一月九日(日曜日)の状況

(1) 甲野は、平成九年一一月九日昼過ぎころ、長女が激しいぜん息の発作を起こしてこれが治まらなかったため、救急車の手配をし、同日午後五時二〇分ころ、長女に付き添って、長女を救急車で松戸市日暮所在の新八柱台病院(以下「病院」ということがある。)に搬送した。長女は、その症状が相当重かったため、同日午後五時三〇分ころから、救急処置室で点滴等の処置を受けた。甲野は、医師から、なぜもう少し早く長女を病院に連れて来なかったのかと言われてしかられた(甲3、49、64)。

(2) 一方、被告人は、乙山が散髪に出掛けると言って外出した後、同日午後五時四二分に甲野方に電話して長女の病状を確認しようとしたところ、その留守番電話に、長女を救急車で病院に運んだ旨の甲野の伝言が録音されているのを聞いた。被告人は、病院に行ったが、長女がいることの確認が取れなかったため、外出中の乙山を捜すためにいったん自宅付近まで戻った。被告人は、同日午後六時過ぎころ、長女の容態を被告人に知らせるために乙山方に向かっていた甲野と偶然出会ったので、甲野と一緒に病院へ行った(甲64、112、乙7、8)。

(3) ところで、乙山は、同日午後六時の少し前ころ、散髪を終えるなどして自宅に戻ったが、被告人が玄関に鍵をかけたまま外出していたために部屋に入れず、仕方なく部屋の外で時間を過ごしているところを他の居住者に目撃された。そして、乙山は、同日午後六時三一分ころ、新京成八柱駅前において、株式会社ダイエーオーエムシーから、リボルビング支払の約定で現金二万円を借り入れ、適当に時間をつぶすなどして被告人の戻るのを待った(甲55、弁22、乙7、8)。

(4) 被告人は、病院で点滴中の長女の容態を確認した後、乙山が玄関の鍵を持っていないことを案じていったん乙山方へ戻り、再び外へ出たところ、同日午後七時の少し前ころ、自宅付近で乙山と会ったので、乙山に玄関の鍵を渡した上、乙山に対し、長女の容態が悪いので病院へ行くと告げて再び新八柱台病院へ戻った。乙山は、被告人が病院に行くのを止めはしなかったものの、被告人が病院に行くことについてあまりいい顔をしなかった(甲64、乙8)。

(5) 被告人は、同日午後七時ころ、長女のいる病院の処置室に行ったが、甲野の機嫌はすこぶる悪かった。被告人は、甲野から、長女の病状にむとんちゃくである旨皮肉を言われ、その際、甲野と大声で口論をした。長女は、点滴によってもその容態が一向に良くならなかったため、同日午後七時三〇分ころ、点滴の針を腕に刺したまま五〇六号病室に運ばれ、入院することになった(甲野証言、甲3、48、49、64)。

(6) ところで、甲野は、病院に来てから、甲野の母親に、長女が入院するかもしれない旨を、次いで入院することになった旨をその都度連絡していたが、同日午後八時三〇分ころ、長女の大好物の「ウインナ」を買うために病院を出た際、公衆電話から、長女の入院が長引くかもしれない旨を右母親に報告した。すると、母親は、甲野に対し、翌一〇日には上京することを伝えた。甲野は、「ウインナ」や入院に必要な小物を買いそろえて、九日午後九時前ころ、病院に戻った。甲野は、ぜん息の発作を起こした長女の世話に疲れ、今後の長女の養育に不安を覚え、被告人に戻ってきてもらって三人で生活をしたいと考え、五〇六号病室に戻った後、長女のいるベッドの端に腰を掛けていた被告人に対し、改心して生活をきちんとし、被告人を大事にする旨を話した。しかし、被告人は、甲野の言葉を信用していない様子であった(甲48、64、65、乙8)。

(7) 被告人は、甲野が買い物をして五〇六号病室に戻ってから、一〇分か一五分くらいすると、乙山の夕食のことなどが気になって、同日午後九時前ころ、甲野に帰る旨を告げた上、常時開放されている病院の救急出入口から外に出て、午後九時ころには乙山方に戻った。ところが、乙山は、いつもと違って怒っているような顔をしていた。被告人が、言いたいことがあるなら言うようにと乙山に告げると、乙山は言いたいことはないなどと返答したものの、不満げな様子であった(甲野証言、甲42、47、乙7、8、12)。

(8) 被告人は、乙山に運転してもらって、同日午後九時三八、九分ころ、松戸市内のサリサリストアに行き、前日から借りていたビデオテープニ本を返却した。乙山は、同日午後九時四〇分ころ、職場と部下の自宅の二か所に電話を入れ、職場で残業をしていた上司に対しては、仕事を手伝う旨の意向を伝えたが、それには及ばないと言われ、部下に対しては、翌日使用する予定の車の鍵を持ち帰ってしまったので持って行く旨伝えたが、スペアーキーを使うので大丈夫である旨言われたため、被告人と共に午後一〇時前ころにはそのまま帰宅し、午後一〇時ころには、ビールを飲みながら野菜炒めや焼き魚(サンマ)を食べた。被告人は、疲れていたため、ビールを一口飲んだだけで、着替えをしてベッドで横になっていた(甲52から54まで、112、乙7、8、12)。

(9) 一方、甲野は、看護婦の指示で、症状が悪化した長女を抱いて、看護婦と一緒にレントゲン室に向かい、長女の胸部レントゲン撮影をしてもらった。甲野は、長女を連れて五〇六号病室に戻り、医師に長女の症状を尋ねたところ、ぜん息としてはひどい症状に入る旨の診断であったため、被告人に連絡しなければならないと考え、同日午後一〇時三五分三九秒ころ、五階のナースステーション脇の公衆電話から、乙山方に電話をかけ、被告人に、「花子の具合が良くない。肺がゼーゼーいっているし、ゼーゼーという音が止まらない」と言って、長女の容態が相当悪い旨を連絡した。被告人は、「じゃあ、分かった。そっちへ行くから。」と言って電話を切った(甲野証言、甲48、65、112、乙8、12)。

(10) 甲野は、被告人に右の電話をした後、担当の稲村看護婦に対し、困った妻を持ったという感じの口調で、妻が長女の病気にむとんちゃくなので、妻が来たら病気の重大さを認識させてほしいなどと訴えたほか、病院に到着した主治医の上原医師に対しても、妻に注意を与えてほしい旨を依頼した(甲48、50)。

(11) 上原医師と稲村看護婦は、同日午後一一時ころ、五〇六号病室において、長女を診察した。被告人は、同日午後一一時の少し前ころ、病室に到着した。上原医師は、甲野の前記の依頼を酌んで、被告人に対し、「ぜん息は悪化すると死んでしまうことがあるから、ちゃんと治療しないと駄目だよ。」などと言い聞かせ、稲村看護婦も、「ぜん息は早めに病院に連れて来ないと駄目ですよ。死にも直結するんだよ。」などと言って注意を与えた。被告人は、その際、涙ぐんでいた(甲48、50、乙8)。

(12) その後の同日午後一一時二五分ころ、上原医師は、五〇六号病室において、長女の容態を診察した結果、呼吸困難の症状が大分改善されていたため、甲野と被告人に対し、「良くなったみたいだからこのまま様子を見ましょう。」と伝えた。被告人は、同日午後一一時四五分ころ、点滴を交換するために病室を訪れた稲村看護婦から「良くなったね。」と声をかけられたが、何も返事をしなかった。被告人は、当夜は、乙山のもとに帰らず、長女のベッドに添い寝をするなどして病院内で一夜を明かした(甲48、50、乙8)。

(三) 本件殺人事件通報時及びその前後の被告人の言動

(1) 被告人は、翌一一月一〇日午前六時過ぎころ、稲村看護婦が検温のために五〇六号病室を訪れた際には、何も話さず、寝起きのようなぼーっとした表情でベッドに腰を掛けていた。被告人は、同日午前六時二六分ころ、乙山方の留守番電話に、「もしもし。ジロー。…もしもし。おはよー。…お仕事、気を付けて行ってらっしゃい。…ばいばい。」との伝言を入れた。被告人と甲野は、同日午前七時四〇分ころ、茶谷看護婦が入院患者の様子を見るために病室に入った際には、話をすることもなく、元気のない様子であり、茶谷看護婦から「花子ちゃん、大丈夫ですか。少し楽になったみたいね。」と言って声をかけられたが、返事もせずに黙っていた。被告人は、同日午前八時前ころ、長女に朝食を食べさせた後、後片付けをしないまま乙山方に向かい、数分で乙山方玄関前に着き、手持ちの鍵で玄関ドアを開けて室内に入った(被告人の公判供述、甲48、112、乙8、9、弁11)。

(2) 被告人は、その後の同日午前八時三〇分ころ、新八柱台病院の事務員に対して、「助けて、助けて。」、「近くのマンションの部屋で男の人が血を流して倒れているんです。私一人では何もできないので、とりあえず誰か来てくれますか。」などと言い、一緒に乙山方に来てほしい旨依頼した。被告人は、病院の事務員らと乙山方に向かう途中、事務員らに対し、「首の後ろを刺されているみたいです。」などと言っていた(甲1から3まで、乙9)。

(3) 被告人は、同日午前八時四〇分ころ、病院の事務員らが乙山方に入った際、右の者らをベッドのある六畳洋間に案内し、「こっち、こっち、助けて下さい。」などと言った。乙山は、ベッド上で、体の右側を下にし、体を「く」の字に曲げており、全く動いておらず、一見して死亡していると思われる状態であった。乙山の首の辺りを中心に大量の血液が流出し、その血痕はほぼ乾いて固まっているような状況であった。被告人は、ベッドの前で、「何とかならないの。」などと叫んでいた。被告人は、事務員らに対して、「この男の人は普段午前七時三〇分ころには仕事に出るので、仕事に行っているものと思って部屋に帰り、布団を開けてみたら死んでいた。」、「この男の人は三三歳で、奥さんとは別居している。奥さんは、仙台の人で、近く出て来ることになっている。奥さんは、怖い人で、すぐ刃物を手にする人だ。その奥さんが来て刺したのではないか。」といった趣旨の話をし、さらに、その後現場に到着した救急隊員らに対して「助けて下さい。」などと言った上、救急隊員から、「亡くなってから大分時間が経っているので病院には運べない。警察に来てもらう。」旨説明されると、「助からないんですか。だめなんですか。どうして連れて行ってくれないんですか。」などと繰り返して言い、その後救急隊員に対して、「前の晩から子供が入院していて、それに付き添っていた。朝、八時半ころ部屋に帰るとこうなっていた。」などと述べた上、事務員らに対するのと同様に、「この男の人の奥さんは性格がきつく、興奮するとこういうことをする。」などと言いながら、台所にあったミカンをナイフで上から突き刺すような仕草をし、乙山の妻が犯人であることをにおわせる言動をした(甲1から5まで、8)。

(4) なお、乙山方の実況見分の結果によっても、外部の者が乙山方の入ロドアをこじ開け、あるいは窓を破るなどして侵入したとの格別の形跡はうかがわれなかった(甲6、7)。

5  死体及び現場の状況

(一) 六畳洋間のベッド上の乙山の死体には、主として胸部より上の部分に集中して血液が付着しており、腰から下の部位には血液の付着がほとんど認められなかった。乙山の着衣には、死体の創傷に応じて損傷が認められた。カバー付き掛け布団上面のカバーのフリル上及びその付近の掛け布団の一角に、刃物様の物で刺した損傷痕が集中しており、大別して八か所存在した。掛け布団カバーの下面フリル上にも、上面の損傷痕に対応する損傷痕が四か所存在した。そして、掛け布団を掛け布団カバーから取り出して見分すると、掛け布団の上面のフリル付近の一角の辺りに損傷痕が認められ、内部の綿が露出していた。

(二) 創傷の状況については、頭部に三一か所、背部に一九か所、顔面、頸部及び胸部(後面)に各三か所の刺切創、上肢の手背及び手掌にも多数の刺切創(左上肢一七か所、右上肢二〇か所)が認められるが、胸部(前面)、腹部及び下肢には損傷等の異常は認められなかった。創傷の部位等に関する特徴としては、後頭部、後頸部、背部等に多数の創傷が見られ、死体の頭蓋骨後面中央部には、金属片がはまり込んでいた。死体の損傷のうち、延髄と頸部の移行部を完全に切断する損傷が最も高度の損傷であり、乙山の死因は、頸部刺創による脳障害(延髄切断)と考えられた。

(三) 以上の創傷は、非常に短時間の間に、しかも、乙山において防御的、逃避的な姿勢あるいは状態にあった際に形成されたものと考えられた。平成九年一一月一〇日午前八時四七、八分ころ、救急隊員が現場で乙山の死体について死後硬直の度合いを確認したところ、その上肢については硬直がかなり進んでいる状態であった。

(四) なお、その後の鑑定により、胃内容物は、キャベツ、タマネギ、人参、大根、トマト、香辛料のトウガラシ、ソーセージ及び焼き魚等の食物残渣と認められた。

(五) 六畳洋間の出入口柱及び床上には香水をまいた跡が認められ、香水の香りが強く、同室内のベッド上の死体の周辺近くには、座布団やシャツ等の衣類が血痕を覆うかのように置かれていた。そこに置かれていたシャツ、ズボンは、折り畳まれた状態で、わずかに湿潤し、シーツと接する面に血痕が付着していた。伸びた状態で置かれていたズボンもわずかに湿潤していて、シーツ上にはにじんだ血痕が付着していた。ベッド南側のシーツ上には血痕の飛沫痕が確認できた。また、ベッド中央部の東寄りの枕の両側には多量の血痕が付着していた。ベッド中央部のもう一つの枕の上面の縁の部分に血痕の付着を認めた。その枕を裏返して下面を見ると、その一部がわずかに湿潤しており、シーツ上の痕跡とは全く異なる血痕の付着が認められた(甲7の写真番号271及び272参照)。ベッドの東側壁には、血痕が、こすれた状態や飛沫状態で付着していた。壁の飛沫痕は、いずれも北方から南方に向けて飛んでいるのが認められた。また、南東側の壁にも血痕の飛沫が認められた。ベッドの下及び南西側の床上には水がまかれたらしく、水様の液体がたまった状態で残っていた。床上に置かれた湿潤した座布団を取り除くと、座布団の下にある湿潤した床マットに血痕が付着していた。さらに、折り畳まれた状態のズボン等を床上から取り除くと、ズボンは湿潤し、血痕が付着していた。そのズボンの置かれていた床上には血痕の飛沫が認められた。ベッド付近のドレッサーの棚上には香水の容器のキャップが置かれていた。そのドレッサーの右側には、丸椅子上にコードレス電話が置かれ、電源が入っており、通話できる状態にあった。

(六) ダイニング内の六畳洋間寄り付近のテーブル下の床上が水でぬれていた。床上には、黄色のバインダー及びあさひ銀行の封筒が散乱しており、封筒は水にぬれた状態であった。また、六畳洋間出入口引戸のダイニング側及びダイニングの床上には香水をまいた跡が認められ、その付近では強い香水の香りがしていた。木製棚に置かれた小物入れ及び食器棚の引き出しは、いずれも引き出された状態にあった。木製棚の前の床上には、引き出された前記小物入れの引き出しが放置され、封筒が散乱していた。また、同所には、二つ折りの財布が置かれており、財布内には、現金一三〇円並びにキャッシュカード二枚、クレジットカード(OMCカード)一枚及びメトロカード一枚が入っていた。木製棚上にはファクシミリ付きの留守番電話が置かれ、留守の状態でランプが点滅しており、伝言が入っている状態になっていた。

(七) 玄関脇の4.5畳和室の出入口付近の畳上には、香水瓶が倒れた状態で放置されていた。この香水瓶にはキャップがなく、中には液体が三分の一程度入った状態であった。

(八) なお、その後のルミノール発光試験の結果、洗面所の洗面台上及びダイニング入口の木製片開き戸のダイニング側がいずれも陽性反応を呈して発光した。

(九) 犯人像としては、創傷の数、部位及び程度等に照らし、経験的には、近親者又は怨恨を抱いている者、あるいは精神的な障害を有している者による犯行という推測が可能であった。(以上の(一)から(九)までについて、甲4から9まで、27、28、32、35、証人木内政寛の当公判廷における供述(以下「木内証言」という。))

6  凶器及びボウルの発見状況

(一) 乙山方台所流し台の引き出しは閉じた状態であり、引き出しの中には、刃先がわずかに欠損し血痕の付着した三徳包丁(以下「本件包丁」という。)が置かれていた。本件包丁は、刃体の長さが約16.7センチメートルで、乙山の血液型と同じB型の人血及び毛髪が付着していた。なお、その後の鑑定の結果、乙山の頭蓋骨内にはまり込んでいた金属片の破断面の一部と本件包丁の刃先付近の断面の一部とが形状、間隔等の特徴において合致した。したがって、本件包丁が犯行に用いられた凶器であると認められた。

(二) さらに、台所流し台には水切りトレイが、流し台上のつり下げ棚にはボウルがそれぞれ置かれており、水切りトレイには血痕の付着が認められ、また、ボウルには、その内側にわずかな水滴が、縁の内側にはわずかな人血の付着がそれぞれ認められた。血痕の付着したボウルから被告人の右手拇指指紋及び右手掌紋が検出された(以上の(一)、(二)について、甲7、9、11から24まで、103、104)。

7  被告人の着衣への血痕付着状況

(一) 被告人が本件当時に着用し、平成九年一一月一〇日に任意提出した着衣(甲36、38。前掲証拠物)について、ルミノール発光試験及びロイコマラカイトグリーン試験を実施した結果、カーディガンの袖及び前面等の九か所、ジャンパースカートの前面及び後面の一〇か所、靴下の片方の九か所に、それぞれ血痕の付着が考えられた。血痕の大きさは、カーディガンに付着したものについては大豆大、米粒大であり、ジャンパースカートに付着したものについては小指頭大、大豆大、米粒大、粟粒大であり、靴下に付着したものについては、頭針大、米粒大である。これらの血痕のうち、人血証明検査の結果、人血と確認されたものは、カーディガンの袖及び前部等の五か所(大豆大、米粒大の大きさのもの)、ジャンパースカート前面の五か所(大豆大、米粒大、小指頭大のもの)、靴下の二か所(米粒大のもの)である。さらに、ABO式血液型検査の結果、カーディガンの前面等の三か所、ジャンパースカートの前面の二か所、靴下の二か所の人血のABO式血液型は、いずれもB型と考えられた(甲40)。DNA型検査の結果、ジャンパースカートの前面右側下方に付着した人血のDNA型は、MCT一一八型が一八―二四型、HLADQα型が一・一―四型、PM検査のLDLR型がBB型、GYPA型がAB型、HBGG型がAA型、D七S八型がAA型、GC型がAC型であった(甲41)。一方、ABO式血液型検査の結果、乙山の血液型は、B型と判定され(甲24)、DNA型検査の結果、乙山のDNA型は、MCT一一八型が一八―二四型、HLADQα型が一・一―四型、PM検査のLDLR型がBB型、GYPA型がAB型、HBGG型がAA型、D七S八型がAA型、GC型がAC型であった(甲26)。

以上により、被告人の着衣に付着していた人血の血液型及びDNA型は、乙山の血液型、DNA型と一致するものと認められた。

(二) 被告人の着衣に付着した血痕の付着の態様については、以下のように考察することができる。

被告人の着衣の血痕は、いずれも点々とした非常に小さな血痕であり、しぶきとして横合いから飛び散った血液が付着したものと考えられる。しかし、乙山の死体解剖の結果、乙山の身体には皮膚の表面の動脈を切ったというような損傷が認められないので、乙山の身体から吹き出した血液が直接被告人の着衣に付着したものとは考えにくい。また、包丁で身体の多数か所に創傷を負わせた場合であっても、動脈切断が認められないという前記損傷の性状に照らし、乙山と少し離れた状況の下で創傷を負わせたということであれば、被告人の着衣の袖口や上半身部分に多数の血痕が付着していなくても不自然ではない。本件のような血痕が着衣に付着していることの原因としては、乙山の身体等に付いた血溜まりの血液が凶器に当たって飛び散ったか、あるいは凶器に付着していた血液がその凶器を振り回した際に飛び散ったというような可能性が考えられる。また、付着している血痕がいずれも非常に小さい点状のものであることからすると、被告人の着衣が乙山の死体の血液に直接触れたことにより付着したものとは考え難い。被告人の着衣が乙山の死体に直接触れたことにより付着したものとすれば、もう少し大きい血痕として、幅広くこすり付けたような状態に付着するはずであるからである(以上について、木内証言及び証人上野正彦の当公判廷における供述(以下「上野証言」という。))。

(三) 新八柱台病院の関係者及び救急隊員が一一月一〇日午前八時四〇分ころに乙山方に赴いた際には、乙山の血液は既に乾きかかっていたものと認められ、その際、乙山の血液のしぶきが飛び散るような状態であったものとは認められない(甲1から6まで)。

(四) 以上の被告人の着衣への血痕付着状況からみて、被告人は、乙山から大量の出血があった時刻に非常に近接した時点において、乙山の近距離にいたことが強く推認される。そして、法医学の専門家の所見によって、乙山の身体等に付いた血溜まりの血液が凶器に当たって飛び散り、あるいは凶器に付着していた血液がその凶器を振り回した際に飛び散って被告人の着衣に付着した可能性が考えられるとされていることからすると、右の血痕が付着した経緯について、本件当時とは別の機会に血痕が付着したとの合理的な説明が被告人からなされない限りは、本件殺人事件の犯人は被告人であることが強く推認される状況にある(この点に関する被告人の説明が合理的であるかどうかについては、後記二、11、(三)、(5)、ウ、ⅲにおいて検討する。)。

8  被告人の甲野に対する犯行告白

甲野は、捜査段階において、一一月九日午後一一時前後ころ、五〇六号病室において、被告人から乙山を殺害した旨の告白を聞いた旨供述している(甲60、61、65)。右供述は、被告人の告白の内容、時期等に照らし、告白内容自体に多義的な解釈を容れる余地がなく、被告人の後記自白と相まって、被告人が本件の犯人であることを物語る間接事実である。しかしながら、被告人の犯行告白を聞いたと供述している甲野自身が捜査段階において本件殺人事件の容疑を受けていた者であることからすると、その供述の証拠能力及び信用性を判断するに当たっては慎重な吟味が必要である。そこで、被告人の犯行告白を聞いた旨を主たる内容とする甲野の検察官に対する供述調書の証拠能力及びその信用性について検討する。

(一) 甲野の検察官に対する供述調書の証拠能力

(1) 弁護人は、甲野の検察官に対する各供述調書(甲60、61、65)を採用した当裁判所の証拠決定は、刑事訴訟法三二一条一項二号前段の解釈に当たり、事実上の供述拒否を「供述不能」に当たるとし、また、信用性、手統的正義という要件を付加していない点において妥当性を欠き、証拠能力の認められない証拠を採用したことに帰するから、いずれも証拠から排除されるべきであると主張する。

(2) ところで、証人として出廷した甲野は、被告人の夫であり、証言拒絶権を行使し得る立場にあるところ、当公判廷において証言を拒絶した理由について、最愛の娘の母親である被告人の本件当時の言動等に関する証言をすることが娘の将来に悪影響を及ぼすからである旨供述しているほか、証言をすることにより被告人が有罪になると思う、被告人には無罪になって早く祖国に帰国してほしい旨供述している。甲野は、証言拒絶権を行使する旨を明言してはいないものの、その証言態度その他の諸般の事情からみて、実質的には証言拒絶権を行使した趣旨とみる余地も多分に存する。しかしながら、弁護人の主張にかんがみ、念のため、甲野が事実上証言を拒絶したものとして、甲野の検察官に対する各供述調書の証拠能力について検討し、前記各供述調書を証拠から排除すべきものかどうかについて、改めて当裁判所の判断を示すこととする。

(3) 刑事訴訟法三二一条一項二号前段の供述不能の事由の中には証言拒絶等が含まれ、証言を拒絶した場合とは、証人が証言拒絶権を行使した場合に限られず、事実上証言を拒絶した場合も含まれるものと解するのが相当である。そうすると、本件が弁護人の主張するように、甲野が事実上その証言を拒絶した場合であるとしても、同号前段の供述不能の場合に該当するというべきである。ところで、同号前段の供述不能の場合には、検察官面前調書(以下「検面調書」という。)の証拠能力を認める要件として、積極的に信用性の情況的保障のあることまでは必要とされないが、その供述が特に信用性を失わせるような外部的情況、例えば、取調官の強制、脅迫等の影響の下でなされたときなどには例外的に証拠能力を欠く場合があると解するのが相当である。また、検察官側において、被告人側の反対尋問権を侵害する事情を作為的に作り出したようなときにも、手続的正義の観点から、伝聞の例外として検面調書を証拠として利用することが禁止される場合があると解してよい。

そこで、これらの点を本件に当てはめて検討するに、甲野は、検察官から強制されるなどして供述をしたかどうかといった点については、これを明確に否定しているので、甲野の検察官に対する供述が特に信用性を失わせるような外部的情況の下でなされたものとは認められない。また、関係証拠を検討してみても、本件が、前述した手続的正義の観点から、甲野の検察官に対する供述を証拠として利用することが禁止される場合に当たるとの形跡はない。

(4) 以上によると、甲野の検察官に対する各供述調書(甲60、61、65)は、いずれも刑事訴訟法三二一条一項二号前段の要件を備えており、証拠能力を認めることができるというべきであるから、証拠から排除されるべき場合には当たらない。

(二) 甲野の検察官に対する供述調書の信用性

そこで、次に、右各供述調書(以下「甲野供述」という。)の信用性について検討する。

(1) 甲野供述の大要

甲野供述のうち、甲野が被告人から犯行を告白された状況及びそれ以降の状況に関する供述の大要は、以下のとおりである。

ア 犯行を告白された状況

ⅰ 妻から、乙山さんを殺したという告白を五〇六号病室で聞いたのは、一一月九日午後一一時前後ころに間違いないが、上原医師と看護婦が病室に来る前か、出て行った後か、今ははっきりしない。告白をした時の妻は、その全身がガタガタという感じで震えていた。目はうつろで、焦点が合っていなかった。妻は、声を殺すようにして泣いていた。私は妻の様子を見て、何か大変なことがあったのではないかと思った。妻は、タガログ語で、「シャー・パタイナ」と言った。「シャー」とは「彼」とか、「あの人」という意味で、「パタイナ」とは「死んだ」とか、「殺された」という意味である。したがって、「シャー・パタイナ」とは、直訳すれば、「彼、死んだ。」、「彼、殺された。」という意味になる。妻は、乙山さんのマンションで、乙山さんと一緒に暮らしており、乙山さんのマンションに帰ったばかりであったし、妻の取り乱した様子から、私は、妻の言葉を聞いて、「乙山さんが殺された。」と思った。私は、妻に、誰が殺したのか聞いたが、妻は、日本語かタガログ語で自分が殺したという意味のことを言った。私が、タガログ語か日本語で、「どうして。」(タガログ語では、「バケッ」)と聞くと、妻は、タガログ語で「アワイ・ナ・カミ」と言った。これは、私たちは揉めたとか、けんかをしたという意味である。私は、妻が乙山さんを殺したことが分かって驚き、頭の中が真っ白になった。妻は、どうしてけんかをしたのか、どうして乙山さんを殺したのか、どんな方法で殺したのかという具体的なことを言ったかもしれないが覚えていない。この時は、私も混乱していたので、それ以上のことは妻に聞いていないと思うし、聞いたとしても覚えていない。

ⅱ 私は、妻の態度、話の内容から、妻の話が本当の話だと思った。私は、妻に、「後のことは心配するな。俺が何とかする。」と日本語とタガログ語を交えて言った。それから、妻に、「俺がやったことにしろ。」と日本語で言った。妻は、顔を下に向けて、歯を食いしばっていた。同じ部屋に美濃部さん親子がいたので、私と妻は小さな声で話した。

イ 犯行を告白された以降の状況

ⅰ 私は、長女の容態が心配であったし、妻からは乙山さんを殺してしまったという衝撃的な話を聞いて何が何だか分からない状態で、とても眠る気にはなれなかった。そこで、五階の廊下にある長椅子に座ったり、寝ころんだり、病室に戻ったり、トイレに行ったりして時間を過ごした。妻は、初めは、長女が寝ているベッドの脇に座っていたが、そのうちに長女のベッドで添い寝をしていた。私は、長女の着替えなどを取りに行かなければならないと思い、一一月一〇日午前四時前ころ、病院を出て、徒歩で片道四〇分くらいかかる私の部屋まで歩いて帰り、長女の着替え、スプーン、フォーク、スリッパ、果物を入れる容器、私の着替えなどを赤色ビニール製バッグに詰め、五香駅前からタクシーを拾い、午前五時三〇分過ぎころ、病院に戻った。病室では、長女はベッドで寝ており、妻も長女に添い寝をする形で寝ていた。妻をベッドから動かしたくなかったので、私は、五階の廊下の長椅子で横になり、周囲の電気がついて看護婦や入院患者が動き出す気配がしたころ病室に戻り、妻と交代して長女のベッドで寝た。

ⅱ 私は、午前七時三〇分ころ、長女の朝食が運ばれてきた時にいったん目を覚ましたが、長女に朝食を食べさせるよう妻に依頼してから、もう一度寝た。私が再び目を覚ました時には、妻は病室におらず、長女のベッドの頭の所にあるテーブルの上に、食べ終わった朝食の容器が置いてあった。長女のベッドを整頓していると、長女のお尻とベッドの間に一万五〇〇〇円があることに気付いた。長女が、「パパ、金。」と言って一万円札一枚と五千円札一枚を取って私に見せたので、妻が何かの足しにと考えて置いていったものだと思い、それを受け取った。その後、私は、午前八時三〇分ころ、朝食の容器をナースステーションのそばまで持って行った。私は、その後、処置室で、警察官から、妻の知り合いが亡くなった旨を聞いたが、妻から「乙山さんを殺した。」と既に聞いていたので、亡くなったのは乙山さんだと思った。

ⅲ 私は、妻を愛している。妻が乙山さんと同棲し、乙山さんを殺してしまった一番の原因は、私が仕事にかまけて妻と話し合うことがほとんどなく、妻に暴力を振るったりしたことだと思った。そこで、妻の身代わりになって、乙山さんを殺したことにして刑務所に入ってもやむを得ないと思った。

ⅳ 私は、妻の身代わりで逮捕されたときには、逮捕された事実については、「それでいいです。」と答えるつもりであった。また、具体的なことを聞かれれば黙秘するつもりだった。なぜなら、私は、具体的なことは分からないので答えようがないからである。私は、妻をどのようにして助ければいいのか色々と考えた。フィリピンに帰すことも考えたし、友達のところに隠すことも考えた。一一月一〇日の朝、妻が病室からいなくなって以降は妻と会っていない。

ⅴ 私は、最初、妻から犯行の告白を受けたことなどを刑事さんや検事さんに話すつもりはなかった。そして、妻の弁護士さんから妻がどんな話をしているかを聞き、妻の話に合わせた話をしようと考えていた。例えば、妻が、「乙山さんを殺したのは夫です。」と言えば、「私が乙山さんを殺した。」とうそを言おうと思っていた。正直を言えば、現在でも、「できれば妻を助けたい。妻が乙山さんを殺したことで裁判を受けるということがないようにしたい。」という気持ちがある。しかし、私は、妻と相談して乙山さんを殺そうとしたとか、妻が乙山さんを殺すときにその場にいて様子を見ていたとか、乙山さんの部屋に行って証拠を隠すようなことをしたということはない。一一月一九日ころ、私を調べている刑事さんから、妻が乙山さんを殺したことを認めたと聞いた。私は、これを聞いて、妻が本当のことを認めたのなら、私も事実を正直に言うしかないと思った。今では、真実を話さなければいけないという気持ちが強いので、本当のことを話している。

ⅵ 私は、妻が乙山さんを殺したことを前提にして、妻がなるべく軽い罪になるように頑張るつもりである。私は、できれば妻が乙山さんを殺したとは思いたくないが、残念ながら、妻が乙山さんを殺したことは間違いないと思っている。妻が裁判を受け、一〇年とか、二〇年とか長い期間刑務所に入ることになっても、妻が刑務所から出て来るまで待っている。

以上が被告人から犯行を告白された状況及びそれ以降の状況に関する甲野供述の大要である。

(2) 甲野供述の信用性

甲野供述は、その内容が具体的かつ詳細であり、記憶があいまいな点もあるが、その点についてはその旨が有り体に述べられている。供述内容自体に特に不自然な点はなく、極めて合理的で、他の病院関係者の供述等の関係証拠の内容に符合し、しかも、これによって裏付けられている「最初は話すつもりはなかった」、「できれば妻を助けたい」とためらいつつも、被告人から告白を受けた状況を供述する部分は、臨場感に満ち、現に体験した者でなければ容易に供述し得ない迫真性に富んだものであるとともに、複雑な心境の下に、その認識している状況を率直に吐露したものと認めることができる。甲野供述の内容は一貫しており、当公判廷における証言のうち、証言を拒絶した部分以外の証言内容と対照させて吟味してみても、全体として一貫性を有する供述となっている。甲野は、当公判廷において、一一月九日午後一一時前後ころ以降の出来事についての証言を拒絶しているが、甲野は、捜査段階においても、この点についての供述については、躊躇する態度を示していたものである。そして、甲野と被告人との身分関係及び甲野の長女の将来に与える影響を考慮すれば、被告人の犯罪にかかわる状況を積極的に供述することをためらう甲野の複雑な心境については、これを十分に理解することができる。したがって、当公判廷において証言を部分的に拒絶したことが、甲野供述全体の信用性を減退させることにはならない。

以上によると、被告人からタガログ語で乙山殺害にかかわる犯行告白を受けた旨の甲野供述は、その信用性が極めて高いというべきである。

(3) 甲野供述の信用性に関する弁護人の主張と検討

弁護人は、甲野供述が信用できない理由を種々指摘しているので、弁護人の主張に沿って、順次検討を加えることとする。

ア 甲野は乙山殺害の動機を有する本件殺人事件の容疑者であり、自己を裏切った妻に対する怒りの心情や苛酷な取調べから逃れたい気持ちから虚構の供述をしたとの主張について

ⅰ 前記認定の本件殺人事件発生前後の諸事情から判断すると、本件の犯人が乙山とは全く無関係の第三者であるとは考え難いところであるから、結局、捜査の進展とともに、容疑者が被告人と甲野の二人に絞られていったことは、当然の成り行きであったものと考えられる。そして、弁護人の右の主張は、容疑者の一人であった甲野が真犯人であることを前提とする主張とみてよいであろう。なるほど、甲野は、妻に裏切られた立場にある上、自己に愛想を尽かした妻が乙山と同棲していることを本件発生の直前に確認したわけであるから、乙山を快く思っていなかったことは疑いのない事実である。しかしながら、一度も会ったこともない乙山を殺害しなければならないほどの動機が、甲野にはない。本件の発生直前に、乙山を殺害するという重大な動機を形成させるような格別の出来事があったとの事情もうかがわれない。甲野は、一一月八日に乙山と電話で話してはいるが、その際、乙山との間で、甲野に殺害の動機を形成させるような激しいけんか口論があったというような形跡はない。甲野は、右電話の際に、乙山から、妻との離婚問題が決着していないことなどを率直かつ冷静に伝えられており、乙山の側の事情をそれなりに了解したものと認められる(前記二、4、(一)、(2))。

ⅱ 甲野は、一一月九日から一〇日にかけては、長女の容態が悪化したため、長女を緊急に病院に入院させるとともに、入院中の長女の世話をしなければならないといった自分の身の回りに生じた事態の収拾で手一杯という状況にあった。甲野は、一一月九日夜には、その母親に長女の入院が長引くかも知れない旨を電話で伝え、母親も一一月一〇日には上京する旨を甲野に約束していることが認められる(現に、被告人は、第一〇回公判において、一一月一〇日の夜、病院で甲野の母親の姿を見ており、甲野が母親に電話をしたことが分かった旨供述している。)。このような状況下で、甲野が一一月一〇日の朝方に乙山殺害の挙に出るということは、通常考え難いところである。

ⅲ 甲野は、被告人にすっかり愛想を尽かされていたとはいえ、長女の養育や将来のことなどを考えて、内心では飽くまでも被告人に戻ってきてほしいと強く期待していたことが認められる(前記二、4、(二)、(6))。したがって、被告人にとって不利になる供述をすれば、それがとりもなおさず甲野自身の首を絞めることにもなりかねないのであるから、甲野が被告人に対する怒りの心情からあえて虚偽の供述をしたものとは思われない。

ⅳ 甲野が乙山殺害にかかわる被告人の告白について捜査官に述べるようになったのは、捜査官から、被告人が犯行を認める供述をした旨を聞いてから後のことである(大川通尚の当公判廷における供述)。そのような供述経過に照らしてみても、甲野が自己の犯行の責任を逃れるために被告人にとってあえて不利益な供述をしたとか、苛酷な取調べから逃れたい気持ちから虚偽の供述をしたといったような事情は認められない。

ⅴ 仮に、甲野が乙山を殺害した犯人であるとすると、甲野は、一一月一〇日午前三時四七、八分ころに病院を出てから午前五時三〇分過ぎころにかけて長女の衣類等を自宅に取りに行って病院に戻るまでの間に(甲野証言、甲47から49まで)、①被告人のもとからこっそりと持ち出した乙山方の玄関の鍵を用いて乙山方に侵入した、②台所から包丁を持ち出して寝室に至り、ベッドで就寝中の乙山を殺害しようとし、その際、乙山に気付かれて抵抗されたが、殺害の目的を遂げた、③金銭を物色した上、引き出しや引き出しの中の書類等は散乱させたままにし、死体の周辺、ベッドの下、ダイニング内のテーブルの下等に水をまき、乙山の死体の周辺に座布団や乙山の衣類を置き、水をまいたベッド西側の床上に座布団や乙山のズボンを置き、血の付いた包丁をわざわざ台所の引き出しの中に入れ、被告人愛用の香水の瓶を取り出して、これを室内にふりかけた、④玄関の鍵をきちんとかけて病院に戻り、その鍵をこっそりと被告人のもとに戻した、という反対仮説を想定することになるものと思われる。しかしながら、甲野の置かれていた当時の客観的な状況等のこれまでに検討した諸般の事情に照らして考察すると、乙山方における①から④までのような一連の行動を、甲野の行動として統一的に理解し、これに合理的な説明を付与するには、やはり無理がある。弁護人の主張する反対仮説は採ることができないというべきである。

イ 被告人と甲野との日常の会話は日本語であるから、重大な事柄である殺人行為の告白を妻が夫にする場合、夫が十分に認識し得ないタガログ語で語るはずがないとの主張について

甲野は、当公判廷において、被告人と甲野との日常会話には、タガログ語と日本語とが入り交じっていたと証言している。右証言は、甲野がフィリピンに二回行っており(甲60、62)、タガログ語を母語とする被告人と長年にわたり生活を共にしている上、フィリピンパブの従業員としても長年にわたり働いていたこと(前記二、1、(二)、(三))、被告人が日本語を習得するにはそれ相応の時間がかかり、日常生活上タガログ語を使わざるを得ない状況があったものと推認されることからすると、被告人と甲野との日常会話にはタガログ語と日本語とが入り交じっていたとの甲野証言は自然で、常識的な内容のものであり、信用することができる。そうすると、甲野は、日常会話程度のタガログ語については、ある程度理解し、表現できる能力があったと考えてよい。そして、甲野と被告人との会話が犯行の告白という深刻な心情の吐露を内容とするものである上、当時、五〇六号病室には日本人の親子が同室していたのであるから、被告人が犯行の告白を母語であるタガログ語で表現したとしても、何ら不自然ではない。かえって、甲野が、何らの実体験もないのに、タガログ語による犯行告白があった旨をあえて特定のタガログ語の表現を用いて検察官に対して供述することの方が不自然である。甲野の使用したタガログ語に文法上の間違いなどがあれば、いずれ厳しく追及、弾劾されるであろうことは見やすい道理であるからである。

ウ 甲野が告白されたと供述するタガログ語には、文法的な誤りがあり、タガログ語を母語とする女性の自然な表現ではなく、被告人もそのような誤った言い方はしないと供述しているとの主張について

ⅰ 甲野供述の中核をなす被告人の告白に係るタガログ語は、言語の専門家によって、次のとおり分析されている(甲110、111、弁23)。

「シャー・パタイナ」は、日本語的な語順であり、タガログ語としては不自然であって、本来は「パタイナ・シャー」となるべきものである。「シャー」は、「彼」、「彼女」を表す主語となる人称代名詞で、「パタイ」は、「殺す」、「殺される」という動詞の語幹であるが、動詞を形成する接辞なくして使用されると「死んでいる」、「消えている」、「止まっている」といった意味合いの形容詞となる。ただ、正規にタガログ語を学んだことがない者においては、「パタイ」だけで「殺す」という意味を持っていると勘違いしていることがよくある。「ナ」というのは「既に」の意味を表す副詞であるから、結局、「シャー・パタイナ」は、「彼、死んじゃった」あるいは「彼、死んでいた」という感じの意味になる。

「バケッ」というタガログ語はなく、「どうして」を意味する言葉は正確には「バキット」であるが、正規にフィリピンの言語を学んでいない者が、「バキット」を「バケッ」と聞き間違えて覚えていたとしても不思議ではない。

「アワイ・ナ・カミ」は、「ナグ・アワイ・ナ・カミ」と言わないと正確な文章とはいえない。「アワイ」は、「けんかする」、「口論する」という動詞の語幹で、「ナグ・アワイ」で「けんかした」、「口論した」(過去形)と活用(変化)する。「カミ」は、話し相手を含まない「私たち」あるいは「私ども」という意味を表す人称代名詞である。しかし、タガログ語の中では、動詞の用法が一番難しく、動詞をきちんと使いこなすには相当の習熟を必要とする。「アワイ・ナ・カミ」は、文章としては完全なものではないが、「アワイ・ナ・カミ」だけでも「私たちはけんかした」との意味であると考えることができる。

そして、「シャー・パタイナ」、「バケッ」、「アワイ・ナ・カミ」という会話は、語幹だけ並べているという特徴があり、このような話し方は、最近のマニラで生活する若者やタガログ語をきちんと勉強していない者、あるいはタガログ語を母語としない者の間で多く見られる。右の会話の言い方からすると、強いて言えば、「殺す気はなかったけど争っているうちに死んでしまった」という意味に理解することが可能である。

ⅱ 以上の言語の専門家による分析によると、甲野の用いている「シャー・パタイナ」、「アワイ・ナ・カミ」との表現は、いずれもタガログ語の言い回しとしては、文法上正確ではないものと認められる。ところで、日本国籍を有する甲野は、オランダ系コロンビア人の父と日本人の母との間に生まれ、日本で育っている。したがって、甲野は、日本語を普通の日本人と同じように話し、その読み書きにも不自由はない。甲野は、前記のとおり、タガログ語もある程度の日常会話なら出来るものの、タガログ語の文法に精通しているわけではないから、被告人のタガログ語を知覚し、これを表現する過程で語順が変わるなどの文法上の誤りが混入したとしても不思議ではない。このような甲野の側の要因が文法上の不正確さをもたらした可能性は、十分にあり得ることである。したがって、甲野の用いた表現が文法上不正確であったからといって、そのことから直ちに、甲野の供述自体の信用性まで否定されるというものではない。むしろ、甲野が、それ相応のタガログ語の会話能力によって認識できた範囲で、被告人の告白を記憶していて、甲野の記憶したなりにその内容を供述したとみる方が自然である。

一方、被告人は、一四歳のころから本邦への出入国を繰り返し、平成三年一一月に甲野と結婚後は本邦から出国しておらず、日本国内で長年月にわたり生活していたものであり、甲野と被告人との日常の会話には、日本語とタガログ語とが入り交じっていたというのが実情のようであるから、両者間の会話を同じ言語を母語とする者同士の流暢な会話の場合と同様のレベルで考えることはできない。被告人があえて甲野に分かりやすいように語幹だけを並べて表現した可能性を否定できないし、年若くして母語を使用する地域から離れ、長年月にわたり日本語とタガログ語とが入り交じった日常会話を続けたことによる文法上の乱れ、あるいは文法上の配慮への無関心といった被告人側の要因を考慮に入れる余地もある。

ⅲ なお、甲野は、被告人が発した言葉について、当初は「シーシャ・パタイ」と表現し(甲60)、翌日録取された供述調書(甲61)では、「発音としてはシャー・パタイナと言ったと思う。シャーとは、彼とかあの人とか言う意味で、パタイナとは死んだとか、殺されたという意味である。発音としては、今日話した方が正しいと思う。」旨供述している。このような訂正は、被告人から突然に重大な告白を受けた際の状況及び甲野のタガログ語の駆使能力等に照らすと、不合理、不自然な供述の訂正であるとはいえない。

エ 被告人から告白を受けた甲野が、被告人にさらに詳細を問いただし、被告人と善後策を協議し、友人、知人に相談するなどの一切の措置を講じておらず、長女に対する看護などの日常的行動をしているにすぎないのは不自然であるとの主張について

甲野が被告人から告白を受けた時刻が深夜であることや長女が入院中であることに加え、告白の内容があまりにも唐突かつ重大であったことからすれば、甲野が被告人に対して、事のてん末の詳細を冷静に質問したり、被告人と善後策を協議したり、さらには弁護人主張のような格別の措置をとれなかったとしても、怪しむには足りないというべきである。

オ 甲野は、殺人を告白されたという直後、稲村看護婦に対し、長女の病気に対する被告人のむとんちゃくな姿勢について被告人に注意をしてほしい旨依頼しているが、このような甲野の行動は、殺人の告白を受けた者の行動としては不自然であるとの主張について

なるほど、甲野が、被告人から殺人の告白を受けた後に看護婦に対して右のような行動をとったとすると、いささか不自然である。この点に関連して、上原医師は、ナースステーションを出た時には甲野がナースステーション前の椅子に座っており、同医師が五〇六号病室に向かう際、甲野がついて来た旨供述している(甲50)。上原医師の供述を前提とすると、上原医師が病室を訪れる前に甲野と被告人とが込み入った話をする時間的余裕はなかったものと考える方が合理的であるから、甲野が被告人から告白を受けたのは、上原医師が初回に長女を診察した時よりも後と考えた方がむしろ自然であろう。甲野自身も、被告人から告白を受けた時期が上原医師と看護婦が病室に来る前か、出て行った後か、今ははっきりしない旨供述しており、告白を受けた直後に弁護人主張のような行動をとったと断言しているわけではない。現に、関係証拠に照らすと、甲野は、午後一〇時ころ長女の病状が急に悪化したため、相当慌てふためき、右往左往していた状況にあり、午後一一時ころ以降においても、上原医師と看護婦が複数回にわたり五〇六号病室に出入りするという慌ただしい状況があったことを認めることができる。したがって、この間に、被告人の告白を聞いた時期についての甲野の記憶に混乱が生じた可能性も十分に考えられるところである。

そうすると、甲野が被告人から告白を聞いた時期は、要するに午後一一時台で、被告人が長女の病状悪化の電話を甲野から受けた後に病室に戻ってきた機会で、長女に対する診察などが一段落したころと推認するのが相当である。したがって、甲野が告白を受けた時期を、甲野が前記のような行動をとった前であることを前提とする弁護人の主張は採用できない。

以上の次第で、弁護人の指摘する甲野供述に関する疑問点を逐一検討してみても、甲野供述の信用性は揺るがないというべきである。

9  被告人による乙山方からの現金の持ち出し

信用性が高いと認められる甲野の捜査段階における供述(甲65)によれば、甲野は、一一月一〇日の朝、長女のベッドを整頓していた際、長女の尻とベッドの間に一万五〇〇〇円(一万円札一枚と五千円札一枚)があることに気付いたこと、そして、長女が「パパ、金。」と言ってこれを取り、甲野に見せて手渡したことをそれぞれ認めることができる(前記二、8、(二)、(1)、イ、ⅱ)。右の一万五〇〇〇円は、それが置かれていた場所及び時期等の当時の状況から判断して、被告人が乙山方にあった現金一万五〇〇〇円を何かの足しにするなどの趣旨で長女のもとに置いていったものと推認することができる。ところで、関係証拠上、被告人が手持ちの小遣いとして一万五〇〇〇円を所持していたこと及び乙山が被告人が病院に向かう前に、被告人に対して、その使途を定めて一万五〇〇〇円を与えたことなどをうかがわせる証跡はいずれも存しない(なお、被告人が乙山から生活費や小遣いを渡されることがなく、生活に必要な費用は使途を定められてその都度乙山から与えられていたことについては、前記二、3、(一)参照)。そうすると、被告人が、一万五〇〇〇円を乙山の了解を得ることなく持ち出して病院に持って行ったものと推認するのが合理的である。そして、右のとおり推認されるとすれば、その持ち出しの態様としては、被告人が病院に向かうまでの間に、乙山の財布などから乙山のすきを見て一万五〇〇〇円を勝手に持ち出したという可能性も一応考えられないわけではない。しかし、乙山に金銭の持ち出しが露見した場合の乙山との関係悪化という点を考えると、被告人がそもそもそのような行動に及ぶという可能性は少ないとみるべきであろう。そうすると、被告人が右現金を持ち出した当時、乙山がそれを阻止することができず、しかも事後的に乙山から金銭の持ち出しの点をとがめられることもない状態にあった可能性(例えば、乙山が既に死亡していた場合)の方が高いとみるのが自然である。

以上によると、被告人が乙山方から現金一万五〇〇〇円を持ち出した事実は、本件殺人事件の犯人が被告人であることを強くうかがわせるものであるというべきである。

右の点に関連して、弁護人は、乙山が本件被害に遭った当日に借り入れた現金二万円(弁22)が犯行現場から発見されていないことからすると、むしろ、被告人以外の真犯人がこれを持ち去った可能性があり、本件を被告人の犯行とするには合理的な疑いがあると主張する。

そこで、検討するに、被告人が、自白から否認に転じた以降においても、一一月一〇日の早朝に乙山方玄関の錠を開けて室内に入ったと供述していることからすると、乙山が本件被害に遭ってから被告人が乙山方に入るまでの間は玄関の錠がかかっていたものと認めるのが相当である。そして、外部の者による乙山方への侵入の形跡がうかがわれないこと(前記二、4、(三)、(4))をも併せ考えると、被告人以外の者が、その間に、乙山方に侵入して現金を持ち去った可能性はほとんどないといってよいものと考えられる。そして、乙山が借り入れた現金二万円のうち、一万五〇〇〇円を被告人が持ち出したものと推認できるという点については、前述した。そこで、残りのおよそ五〇〇〇円の現金が乙山方から発見されていない点が問題となり得るが、前記(二、4、(二)、(3)、(4))認定のとおり、乙山は、一一月九日午後六時三一分ころに二万円を借り入れた後、被告人から玄関の鍵を手渡されて自宅に入れるようになった午後七時ころまでの間、適当に時間をつぶさなければならない状態にあったことが認められ、この間に、乙山が借り入れた金銭の一部である五〇〇〇円の範囲内で相応の金銭を費消した可能性を考慮する余地がある。そうすると、乙山が借り入れた現金二万円が犯行現場から発見されていないからといって、被告人以外の者がこれを持ち去ったと断ずるのは相当でない。弁護人の指摘する点は、本件を被告人の犯行と認めることに合理的な疑いを生じさせるものではないというべきである。

10  被告人の行動の不自然性

(一) 病室で一夜を過ごして帰宅しなかったことの不自然性

被告人は、一一月九日午後一一時二五分ころ、上原医師から、長女の容態が安定し、病状が良くなった旨を告げられている(前記二、4、(二)、(12))。ところが、被告人は、乙山にその旨の連絡もせず、乙山のもとに戻ろうともせずに病室で一夜を過ごしている。このような被告人の行動は、これまでの被告人と乙山との間の親密な生活習慣に照らすと、いささか不自然であるといわざるを得ない。すなわち、被告人は、長女の病状悪化の件で乙山に散々な迷惑と心配をかけているのであるから、長女の病状が良くなった旨の診断を受けた時点で、速やかに乙山にその旨を知らせるのが自然な行動というべきであろう。しかし、被告人は、乙山が安心するであろう右の事情を乙山に電話で知らせず、また、乙山のもとに戻ろうともせずに病室で一夜を過ごしているのである。被告人が長女と一緒にベッドで一夜を過ごしたことについては、両者が母と子の関係にあることにかんがみれば、それなりの合理的な説明も可能ではあろうが、被告人は、そのような観点からの合理的な説明をしていない。

この点について、被告人は、当公判廷(第二二回公判)において、検察官から朝になるまで乙山方に戻らなかった理由を質問され、「外国人なので病院のルールがよく分からず、夜、一度病院に入ったら朝まで出られないと思っていた」からであると答えている。しかしながら、被告人は、病院の玄関以外にも救急出入口が存在することを知悉していたものと認められ(前記二、4、(二)、(7))、現に、一一月九日午後九時前ころには、常時開放されている右救急出入口から外に出るところを夜間受付の窓口業務に携わっている警備員に目撃されている(甲42、47)。そうすると、被告人の右公判供述は信用し難いというべきである。また、被告人は、捜査段階において、検察官から、病院に行くことについて乙山があまりいい顔をしていなかったということであれば、病院に泊まることについて乙山に電話で伝えるべきではなかったかと質問され、「自宅を出るときに乙山におやすみなさいと言ったので、乙山は私が泊まってくると思ったと思い、電話はしないでいいと思った。」旨答えている。一方、乙山に早朝に電話をかけた理由を質問され、「私が、夜、乙山の家に帰らず、病院で泊まったので、乙山が心配していると思い電話をした。」旨答え、乙山が、被告人が病院に泊まってくると思っていたということであれば、被告人が家に帰らなくても心配するとは思われないがどうか、との質問に対しては、「乙山に夜泊まると電話をしなかったので、心配していると思った。」旨全体的にみてやや不自然で整合性を欠いた弁解をしている(否認調書、乙8)。

以上のとおり、被告人が一一月九日に病室で一夜を過ごし、乙山方に戻らなかった点は、被告人の弁解の不自然さをも併せて考慮すると、被告人が乙山方に戻れない格別の理由があったからであると推認するのが相当であり、被告人が犯人であることをうかがわせる間接事実の一つであるとみることができる。

(二) 一一月一〇日早朝に速やかに帰宅せず留守番電話にメッセージを入れていることの不自然性

被告人は、一一月一〇日の早朝に乙山方に戻らず、同日午前六時二六分に乙山に電話をかけている(前記二、4、(三)、(1))。しかしながら、被告人と乙山との間のこれまでの親密な関係からすると、一夜が明ければ、被告人が乙山方に電話などすることなく、乙山の身の回りの世話をするためにすぐにでも乙山のもとに駆け付けるといった行動をとるのが自然であり、それが被告人の平素の生活習慣にも沿っているといえる。ところが、被告人は、そのような行動をとっていない。被告人は、その理由について、第二一回及び第二二回公判において、「甲野に対して自宅に帰りたいと言ったが、甲野から帰らない方がいいと何回も言われて止められた。そこで、ひとまず家に電話をしておいた方がいいと思って電話をした」旨弁解している。しかし、被告人は、前日には、午後七時前ころと午後九時前ころの二回にわたり、甲野から止められることもなく乙山方に戻っているのであるから、この時に限って甲野の反対があったので乙山方に戻らずにひとまず電話をしたとの被告人の弁解は、いささか唐突であり、不自然でもある。しかも、被告人は、乙山が電話に出なかったからということで、「お仕事、気を付けて行ってらっしゃい。…ばいばい。」などといったメッセージを留守番電話に入れている。被告人は、留守番電話にこのようなメッセージを入れた理由として、「乙山が一〇日は社長の子供を迎えに行くので、七時三〇分前に出ると言っていたことから、既に家を出たのか、シャワー中のために電話に出ないのだと思った。」(否認調書、乙8)旨供述している。しかしながら、乙山が既に家を出たと思ったのであれば、「気を付けて行ってらっしゃい。…ばいばい。」との被告人の乙山に対するメッセージの内容は不相応であろう。また、シャワー中のために電話に出ないのだと思ったと弁解するが、普段から几帳面な乙山が、出勤予定時刻の四分前に、シャワー中であると思ったとする被告人の弁解自体がいささか不自然であるし、真にシャワー中であると思ったのであれば、留守番電話で済ますことなく、その後すぐにでも乙山方に向かうというのが被告人にとっては自然な行動であろう。なぜなら、新八柱台病院と乙山方は、直線距離にして約一七〇メートル(甲42)と近い場所にある上、被告人は、平素、乙山がシャワーを浴びている間に、乙山の服を用意し、整髪用具等を整え、ジュースなどを準備するというかいがいしい生活習慣を維持していた旨を当公判廷(第二二回公判)で供述しているからである。

以上のとおり、被告人が一一月一〇日早朝に速やかに帰宅せず留守番電話に前記のようなメッセージを入れている点は、不自然な行動といわざるを得ず、被告人が犯人であることをうかがわせる間接事実の一つであるとみることができる。

(三) 通報の遅延及び病院関係者を現場に案内したことの不自然性

被告人が一一月一〇日午前八時前ころから午前八時ころにかけての時刻に乙山方の室内に入った後、同日午前八時三〇分ころ、いわゆる第一発見者として本件を病院関係者に通報し、右関係者を現場に案内した状況については、前記(二、4、(三)、(2)、(3))認定のとおりである。したがって、被告人は、およそ三〇分程の間、乙山方の室内にいたものと推認される。そうすると、被告人の同室内における滞在時間自体に照らしてみても、被告人が乙山の死亡事実を確定的に認識し得たはずであると推認することができる。ところが、被告人は、およそ三〇分程の間、重大な事態を外部の者に通報するための的確な措置を全くとっていない。このような被告人の行動は、極めて不自然かつ不合理であるといわなければならない。この点について、被告人は、乙山が病院ですぐに手当てされれば生き返るのではないかと考え、警察よりも救急車が先であると思い、警察に通報しようとは思わなかった旨供述する(否認調書、乙9)。しかしながら、被告人は、わざわざ病院にまで赴き、病院の事務員に対し、一緒に乙山方に来てほしい旨依頼してはいるが、救急車の手配は依頼していない。乙山の生命に対する配慮よりも、第三者を現場に案内することの方を優先させたとみられても致し方のない被告人の行動からは、乙山の生命喪失への危機感や焦燥感を真に抱いていた形跡はうかがわれず、このような被告人の行動は、乙山が既に死亡していることを知悉した上、自己が第一発見者にすぎないことを装うための皮相的な行動とみるほかはない。カムフラージュとみるべき右の行動は、被告人が犯人であることを推認させる間接事実の一つであるとみることができる。

11  被告人の自白

(一) 自白内容の要旨

被告人は、捜査段階において、「娘の病室からいったん乙山方に戻ったが、甲野から電話で娘の容態が悪化した旨伝えられた。再び病院に向かおうとしたところ、乙山から「行くなら別れよう。」などと言われて病院に行くことを止められ、さらに、乙山に「子供は死ねばいい。」などと繰り返して言われたので、乙山と激しいけんか口論となり、台所の流し台に体を押し付けられたため、乙山を脅すために台所から包丁を取り出した。乙山がその包丁を取り上げようとしたので、頭にきて包丁を乙山に向けて突き出したが、どこに当たったのかははっきりしない。乙山が後ろから抱き付いてきて包丁を取り上げようとしたので、乙山の体に強く肘打ちをした。すると、乙山は、寝室に行き、ベッドの上で横たわったので、乙山を追い掛け、乙山の首を包丁で刺した。何回か首の辺りを包丁で強く刺したように思うが、その回数等は覚えていない。乙山が両手を頭の付近にもっていって、頭を手でつかむようにしたのを覚えている。乙山の首付近から血が出て、首の周りが血だらけになっており、乙山が死んだのだろうと分かった。首の周りの血を見たくなかったので、血が見えなくなるように、掛け布団を乙山の体の上に掛けた。乙山の死んでいる動かない姿を見ると、何となく怖くなってしまい、警察に連絡しなければいけないのだとも思ったが、娘の病気のことが心配だし、警察に連絡すれば娘の所に行けなくなるので連絡しなかった。」旨、本件犯行を認める供述をしている。

そこで、被告人の捜査段階における自白の証拠能力及び信用性について検討する。

(二)  上申書及び自白調書の証拠能力

(1)  主要な争点

弁護人は、当裁判所が既に証拠採用決定をした被告人作成の上申書(乙3)及び被告人の各自白調書(乙4、6)は証拠能力がないので証拠から排除されるべきであると主張している。

そこで、改めて検討するに、弁護人の主張にかかわる主要な争点は、第一に、いわゆる自白法則に照らして、右上申書及び各自白調書中の自白に任意性があるといえるかどうか、第二に、違法収集証拠排除の一般原則(以下「排除法則」ということがある。)の見地からみて、被告人に対する任意同行及びその後の宿泊を伴う一連の取調べの過程で作成された上申書及び逮捕ないし勾留後に作成された各自白調書を証拠として許容できるかどうか、という二点にあると解することができる。

(2)  自白法則の適用の有無

まず、自白法則の適用の有無について検討する。

関係証拠によると、被告人は、後述の任意捜査並びに逮捕後の被告人に対する弁解録取及び勾留後の取調べの過程において、捜査官に対し、自由な意思に基づいて供述していることが認められる上、右過程において脅迫、暴行等いわゆる供述の任意性に疑いを生じさせるような事情が存在した形跡はうかがわれない。被告人は、当公判廷(第一一回公判)において、捜査官は、被告人を任意同行した一一月一〇日の翌日以降からは、被告人が乙山を殺したものと決め付けて専ら自白を強要した旨供述しているが、後述のとおり、本件事案の真相を解明するためには、被告人らにかかわる数多くの付随的な諸事情を被告人らから丹念に聴取するなどの客観的な必要性があったことが認められ、関係証拠上も捜査官によってそのような事情聴取が行われたことが認められるので、捜査官が右の諸事情に係る聴取をさておいて、被告人を犯人と推認させるさしたる証拠もない段階と状況の下で、専ら自白を強要する取調べをした旨の供述は、信用し難い。また、逮捕後における被告人の自白の経緯及び自白時の言動並びに被告人が否認に転じた契機、その他弁護人の指摘する自白の任意性に係る諸事情については、自白の信用性に関する判断と表裏一体をなすものと認められる部分が存するので、便宜「自白の信用性」の項において後述するが、その結果を踏まえて検討してみても、被告人の自白の任意性に疑いを生じさせるような事情はうかがわれないから、被告人の自白には任意性があるものと認められる。

(3)  違法収集証拠排除の一般原則の適用の有無

次に、自白自体に任意性が認められたとしても、先行する捜査手続に違法があった場合には、その違法がその後に収集された自白の証拠能力に影響を及ぼし、当該自白が証拠から排除されなければならない場合があると考えるのが相当である。弁護人の指摘するとおり、違法収集の証拠物に関して排除法則を肯定した最高裁判例はあるが、違法収集の自白に関して排除法則を適用した最高裁判例は、いまだない。しかしながら、違法に収集された証拠の証拠能力を否定することによって収集手続の重大な違法を抑制し、基本的人権の保障を全うしようとする排除法則の趣旨にかんがみると、その適用について、証拠物と自白とで異なる扱いをしなければならないいわれはない。

そこで、排除法則の適用の有無の観点から本件をみると、任意同行及びその後の取調べの態様や取調時間等に照らし、主として任意捜査の違法の有無及びその程度が問題となると思われるので、これらの点について、順次検討を加えることとする。

ア  任意同行の経緯

関係証拠によれば、以下の事実が認められる。

被告人は、フィリピン国籍の外国人であるが、前記のとおり、夫の甲野とは別居中で、松戸市内の乙山方において、乙山と同棲していたものであって、刺殺された乙山の第一発見者であった。被告人が、平成九年一一月一〇日、乙山方近くの病院の関係者に事態を通報して右の者らを現場に案内したことが端緒となって、本件殺人事件の捜査が開始され、千葉県警察本部捜査第一課を中心とする捜査本部が所轄の松戸警察署に設置された。本件殺人事件発覚当時の現場の室内の状況や死体の損傷状況にかんがみ、捜査実務上、被害者に何らかの関係を有する周辺者の犯行である可能性が高いものとうかがわれ、その方面に向けられた捜査が必要であると考えられた。捜査官は、重要な参考人と考えられた被告人から事情を聴取することとし、同日午前九時五〇分ころ、被告人を松戸警察署に任意同行した。なお、被告人は、乙山方から警察署に任意同行される際、警察官に対して、乙山のいる救急車に乗りたいなどと述べたが、救急車への同乗は邪魔になるだけである旨警察官から説明されて渋々任意同行に応じた。

イ  任意取調べから逮捕に至るまでの経緯

関係証拠によれば、以下の事実が認められる。

被告人は、事情聴取の際、その当初から夫の甲野が犯人である旨を供述していたので、捜査官は、被告人及び甲野の両名に対して、翌一一月一一日には書面に基づく承諾を得てポリグラフ検査を実施した。そして、捜査官は、病院関係者等複数の関係者に係る事情聴取と並行して、被告人に対して参考人としての任意取調べを実施した。右取調べは、山村幹雄巡査部長が担当した。同月一七日夕刻、被告人の着衣に乙山と血液型を同じくする飛沫痕が付着している旨の鑑定結果が捜査本部にもたらされた。そこで、被告人に対する嫌疑が極めて濃厚となり、その刑事責任の存否を決めるために被疑者としての取調手続を開始する客観的な必要性が生じた。そのため、翌一八日、殺人事件捜査本部事件の被疑者の取調担当官とされている捜査一課班長の赤沼力警部補が、山村巡査部長に代わって取調担当者に指名され、赤沼警部補が被告人に対する被疑者としての取調べを開始した。そして、被告人は、翌一九日の午後になって犯行を認めて自ら上申書を作成し、同日、逮捕されるに至った。

ウ  宿泊・監視等の措置をとった状況

関係証拠によれば、以下の事実が認められる。

捜査官らは、一一月一〇日の任意同行の日以降、参考人としての取調べから被疑者としての取調べに切り替えた同月一八日に至るまでの九日間のうち、当初の二日間は、被告人を取調べ終了後に長女の入院する前記病院に送り届けた。しかしながら、捜査官らは、被告人の長女が退院した後のその余の七日間は、被告人を捜査官らの手配した警察官宿舎の婦警用の空室(二泊)及び松戸市内のビジネスホテル(五泊)にそれぞれ宿泊させた(なお、被告人の長女は、前記認定のとおり、平成九年一〇月下旬ころ以降、甲野と生活を共にしていたものであるところ、退院後、被告人及び甲野の承諾の下に、いったん児童相談所に預けられ、その直後に甲野の母親に引き取られている。)。そして、捜査官らは、当初の二日間は病院の病室出入口付近に警察官を待機させ、婦警用の空室では、仕切り戸の外された隣室に婦人警察官を配置して同宿させ、ビジネスホテルでは、室外のエレベーター付近のロビーのような所に婦人警察官を待機させるなどして被告人の挙動を監視し、被告人の宿泊場所と松戸警察署との往復に当たっては、警察の車で送り迎えをした。また、捜査官らは、被告人に対し、逮捕するまでの前後一〇日間にわたり、連日、午前九時過ぎないし一〇時過ぎころから午後八時三〇分ないし一一時過ぎころまで、長時間の取調べを続けていた。なお、この間のビジネスホテルの宿泊費用及び食費は警察が負担した。

エ  取調手続の違法性

以上の諸事情に徴すると、被告人は、任意同行に渋々応じて以降、客観的にみれば、捜査官らの意向に沿うように、長期間にわたり、右のような宿泊を伴う連日にわたる長時間の取調べに応じざるを得ない状況に置かれていたものであって、被告人に対する捜査官らの一連の右措置は、全体的に観察すれば、任意取調べの方法として社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度を超えたものとみるほかはなく、違法な任意捜査であるといわざるを得ない。

オ  取調手続の違法の程度

ところで、右の取調手続の違法性が著しく、自白収集の手続に憲法や刑事訴訟法の所期する基本原則を没却するような重大な違法があり、右の取調手続の過程で収集した自白を証拠として許容することが将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合には、仮に自白法則の観点からは任意性が認められたとしても、排除法則の適用により、当該自白の証拠能力は否定されるというべきである。そこで、右の取調手続の違法の程度について具体的に検討する。

i  関係証拠によれば、以下の事実が認められる。

本件事件においては、捜査実務上、被害者である乙山の周辺者に向けられた捜査が必要であると考えられ、かつ、刺殺された乙山と同棲中であった被告人が死体の第一発見者で重要な参考人であったことは前記のとおりである。被告人は、事情聴取の際、乙山の話になると取り乱して「乙山のもとに行きたい。」旨述べて泣き出すなどしており、その言動から著しい精神的な動揺がみられた。しかし、被告人は、任意同行自体に対して、これを拒否するといった態度を示したことはなく、事情聴取に際しても、甲野が犯人であるなどと、思い当たる犯人像について具体的に供述し、当初から捜査に極めて協力的な態度を示して取調べに応じていた。

ところで、被告人は、当時、甲野との関係が実質的に破綻していたことから、甲野方に戻ることは困難であり、被告人自身も甲野のもとに戻りたいとの意向は示していなかった。一方、乙山にも妻がいた上、殺人現場の現状の維持、保存という観点からも、被告人が乙山方に立ち入ったり、単身で居住することには支障があった。被告人には、当時、日本国内に頼れる親族はおらず、被告人の方から特定の友人の名前を挙げてそこに宿泊したいといったような具体的な申出もなかった。そのため、捜査官の側が、被告人を継続的に宿泊させることのできる環境及び条件を備えた友人宅を確保するなどの措置をとることも容易でない状況にあり、被告人は、いわゆる住居不定の身となった。そして、任意同行から二日を過ぎた時点で、被告人の長女が急に退院することになったため、被告人を長女の入院先に送り届けることもできなくなり、被告人の当面の宿泊先の手配がつかなくなった。当時、被告人には定職がなく、所持金も一五〇〇円余りで、被告人がホテル等の宿泊費や交通費を自ら負担することは、現実には困難な状況にあった。これらの諸事情に徴すると、当時の捜査官らにとってみれば、殺人事件という事案の性質、重大性等にかんがみ、日本国内に適当な宿泊場所を有せず、宿泊の手立てを持ち合わせていない被告人のために、その了解の下に、安全な宿泊場所を緊急に確保した上、捜査に協力する姿勢を見せていた第一発見者かつ重要参考人であった被告人から、被告人と甲野との結婚生活、結婚生活が破綻するに至るまでの経緯、乙山と知り合った経緯、乙山との共同生活状況、乙山の妻の行動、乙山の交友関係、乙山の仕事の関係、被害に遭う前の乙山の行動、乙山の死体を発見するに至るまでの経過及び発見時の状況等の事案の真相を明らかにするための諸事情を詳細に聴取する必要性及び緊急性が極めて高かったものと考えられる。

ⅱ  さらに、関係証拠によれば、以下の事実が認められる。

被告人は、任意同行された当初の二日間は、その宿泊先を長女の入院している病院としたい旨の意向を示し、その後は、捜査官らの手配した宿泊施設に宿泊することを了解し、参考人としての取調べを受けていた期間中、特にそのような宿泊に反対する意向を表明したことがなかった。また、被告人は、被疑者としての取調べに切り替わった逮捕の前日(一一月一八日)においても、宿泊場所があるかどうかを尋ねられて宿泊場所がないと答え、当日の宿泊場所を従前のビジネスホテルとすることを了解している。

加えて、被告人は、前記のとおり、事情聴取の当初から、甲野が犯人であると供述していたため、甲野も犯人となり得る人物であるということを視野に入れた捜査が展開されていた。ところが、関係者多数に係る事情聴取の過程で、被告人の供述が甲野の供述及び複数の病院関係者の各供述等と必ずしも符合しないなどの供述間の矛盾が生じるに至ったため、被告人に対して事実関係の確認をする必要性が次第に増大していった。そして、被告人は、日本における滞在期間が長く、日本人と結婚しているということもあって、日本語の日常会話が可能であるが、タガログ語の通訳を介さなければ関係者の供述状況を踏まえた詳細な事情聴取が円滑に進まない事態が中途(一一月一四日)から生じるようになった。以上のような諸事情が相応の取調時間と日数を必要とする一因になったようにうかがわれる。

そして、捜査官らが、一連の任意の取調べに当たり、被告人の退去を拒絶・制止し、適切な食事・休憩等の時間もとらなかったというような格別の事情は認められない。この点に関連して、被告人は、「一一月一〇日以降、体調があまり良くなかった。一〇月に生理が来ず、妊娠しているのではないかと思っていた。逮捕状を執行されてから五日後くらいに普通の生理の痛みとは違って子宮の側に痛みがあり、血の塊が出て来た。」(第一〇回公判)、「取調べに当たり、休憩の時間は全くなく、食事をしながら質問を受けている状況で、自分には休む暇はなかった。」(第一七回公判)などと供述している。しかしながら、山村幹雄の当公判廷における供述(第一四回公判)によると、被告人は、一一月一〇日以降の事情聴取における比較的早い段階で、山村巡査部長に対し、一〇月下旬に生理があった旨を述べている事実を認めることができる。山村巡査部長の右公判供述は、一一月一〇日の検証時に、乙山方便所内に置かれていた汚物入れ内に使用済みのナプキン一枚とタンポン三本が入っていた客観的状況(甲7)に符合しており、信用性が高い。加えて、被告人が捜査段階においては、妊娠に関する事実を検察官(後記二、11、(三)、(1)、イ、ⅱ)、大使館関係者及び弁護人らにも一切話しておらず、公判開始後に初めて話題にしていることなどの事情(第一〇回公判及び第一一回公判)を併せ考えると、被告人の妊娠に関する公判供述は虚偽の弁解であるといわざるを得ない。また、山村巡査部長の右公判供述のうち、「任意同行・動静確認・事情聴取状況表」(弁4の報告書添付のもの)の記載に沿った供述内容に格別不自然、不合理な点は認められない。一方、被告人の供述には、捜査、公判の段階を通じて不自然、不合理なところが多く、虚偽の介在している点もうかがわれることなどの事情を併せ考慮すると、被告人の取調状況に関する前記供述も措信し難いというべきである。

また、取調官は、被告人に対する任意の取調べが、参考人としての取調べから被疑者としての取調べに切り替わった際には、自己紹介をした上、取調官が交替したことや被告人を本件殺人事件の被疑者として取り調べる旨を告げ、供述拒否権があることを告知している。この点に関連して、弁護人は、任意同行の翌日にはポリグラフ検査が実施されていることからすると、被告人が当初から被疑者として取り扱われていたことは明白である旨主張する。しかしながら、ポリグラフ検査は、被疑者、ときには参考人を被検者として、取調べの初期の段階において行うべきものとされていることは裁判所に顕著な事実であるところ、捜査官において、ポリグラフ検査を実施したことが、すなわち被検者を被疑者として取り扱ったということになるわけのものではない。

さらに、右一連の任意取調べの過程で、捜査官の側に、自白収集目的で違法な任意同行に及んだとか、逮捕時間の潜脱等の意思があったというような点をうかがわせる証跡は認められない。

ⅲ  以上の諸般の事情を総合して考慮すると、被告人に対する右任意取調べの違法の程度は、憲法や刑事訴訟法の所期する基本原則を没却するような重大な違法であったとまではいえない。そして、任意取調べの過程で作成された被告人の上申書(同年一一月一九日付け)のほか、その後の新たな身柄拘束手続である逮捕状の発付(同年同月一九日)及び勾留状の発付(同月二一日)の後にそれぞれ作成された各自白調書を証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合であるともいえない。さらに、右逮捕状及び勾留状の発付後における取調べの過程においても、被告人の供述に任意性があるにもかかわらず、排除法則の見地から自白の証拠能力が否定されるのが相当と認められるような格別の事情はうかがわれない。

(4)  小括

以上によると、弁護人がその任意性を争っている被告人作成の上申書(乙3)及び被告人の各自白調書(乙4、6)は、いずれも刑事訴訟法三二二条一項の要件を備えており、自白法則のほか、排除法則の見地から検討してみても証拠能力を認めることができるから、これらが証拠から排除されるべきであるとする弁護人の主張は採用しない。

(三)  自白の信用性

(1)  自白の経緯及び自白時の言動

ア  上申書作成の経緯

被告人は、前記のとおり、参考人としての取調べが被疑者としての取調べに切り替わった翌日である一一月一九日に、自らの犯行を認める上申書を作成してこれを捜査官に提出し、同日逮捕されている。被告人が上申書を作成した経緯は、当時、取調べを担当した証人赤沼力の当公判廷における供述によると、次のとおりであったと認められる。

被告人は、一一月一九日の取調べの際、赤沼警部補から「子供にうそをついたまま育てても、子供はそれを敏感に感じる。刑務所に入って罪を償ってきれいな体になって子供を育ててはどうか。」などと諭され、赤沼警部補に対し、刑務所内の生活に関して、「刑務所にはコーラがありますか。」とか、「ほかの人と一緒の部屋になるのですか。」とか、「将来美容師になりたいが、美容師になるための仕事がありますか。」などといった具体的な質問をするようになった。赤沼警部補が知っている限りの答えをするなどして右の点に関するやり取りは終わった。その後、被告人は、心の整理がついたような表情に変わり、甲野から電話がかかってきて、その後病院に行こうとした時に、乙山に止められたという話をし始め、「ジロー(乙山のこと、以下同じ。)が花子ちゃんが死んでもいい、死ねばいいと何度も繰り返して言ったので私は怒った。」旨動機を述べるなどして犯行に至る経緯及び犯行状況等について自供をし、取調室において、乙山が被告人の体をつかんできた形、乙山に振り回された形、被告人が包丁を構えた形及び乙山を刺した形等を再現して見せた。そして、赤沼警部補から「これから乙山さんを殺した時の状況、自分の知っていること、自分のやったこと、これを順番どおり書いてみなさい。」と言われ、被告人は、筆を止めて中断するということもほとんどなく、三〇分ないし四〇分くらいをかけて上申書(乙3)を作成した。

イ  検察庁における弁解録取時(一一月二〇日)の自白状況及び二通目の調書(否認調書)が作成された経緯

被告人が検察庁における一一月二〇日の弁解録取の際に自白した状況等については、証人南雲良夫の当公判廷における供述(以下「南雲証言」という。)等により、次のとおりであったと認められる。

i 自白の状況

被告人は、南雲検事から千葉地方検察庁松戸支部の南雲という検事であること、被疑者に黙秘権があること、弁護人選任権があることなどを告げられた上、送致書記載の犯罪事実を読み聞かされた。南雲検事が弁解の有無を確認したところ、被告人は、「乙山さんを殺しました。ナグモさん(南雲検事のこと、以下同じ。)、ごめんなさい。」と述べた。被告人は、いずれも日本語で、「ジロー、花子ちゃん死ね死ねと言った。」と「死ね」という言葉を一〇回くらい言いながら、それまで組んでいた足を下ろし、涙を流し、机の上に両手を置いて伏せるようにした。顔を上げた際の被告人の顔は、涙と鼻水でぐじゃぐじゃになっていた。被告人は、「ナグモさん、ちょうだい。」と言って、南雲検事の机上に置かれたティッシュ箱からティッシュを三、四枚取り、涙をふき、机の上に垂れた涙もふいていた。被告人は、犯行を認めた後、南雲検事から「乙山さんを刺したのは間違いないの。」と確認されると、「はい。」と答え、「乙山さん、ごめんなさい。」と言って再び涙を流した。なお、被告人は、南雲検事が調書の内容を読み聞かせている途中で、被告人が病院から帰宅した当時の乙山の服装、被告人がサンマを食べたかどうか及び被告人が乙山を刺した部位等にかかわる供述内容について訂正を申し立てた。そこで、立会事務官が、南雲検事の口授する被告人の申し立てた訂正内容をペン書きで調書(乙4)末尾に付け加えた。

ⅱ 二通目の調書(否認調書)が作成された経緯

南雲検事は、被告人に対する弁解録取手続を終了した後、被告人に対して、裁判所に勾留請求をすること、勾留が認められると一〇日間、最高でも二〇日間勾留されること、二〇日間勾留された後に起訴するか、釈放するかの決定をすることなどについて説明した。被告人は、そのような説明を聞いた後、「人を殺すと日本には死刑があるの。」と質問した。南雲検事が、殺人罪の法定刑や懲役の意味について説明すると、被告人は、「刑務所でどんな仕事をするの。」と質問した。南雲検事が刑務所の中には色々な仕事があるが、どのような仕事があるか詳細は分からない旨答えると、被告人は「私、死刑になるの。」と質問した。南雲検事は、「死刑になるかどうかは分からないが、日本では人を殺した場合に死刑になる人は多くない。何人も殺したりした場合でないと、なかなか死刑にはならない。人を一人殺しただけでは、まず死刑にならない。」旨説明した。すると、被告人は、「私、死刑になりたくない。フィリピンに帰りたい。花子ちゃんと一緒にフィリピンに帰りたい。日本は嫌になった。」と述べた。そして、被告人は、南雲検事に対し、「甲野を調べてますか。」と質問し、南雲検事が「甲野を取り調べているか、いないか、どのようなことを言っているかは、一切教えられない。」旨述べると、ちょっと考え込んだ上、「甲野がやったと思いますので、私はやっていません。」と述べた。続けて、被告人は、「ナグモさん、あなた、さっき、私に、何も言いたくなかったら言わないでいいと言ったでしょう、言いたいことがあったら何でも言っていいと言ったでしょう、だから、私、さっきも言ったんだから、また言うんだから、調書を書いてよ。」と言ってきた。そこで、南雲検事は、被告人の供述に沿って、被告人は乙山を殺しておらず、甲野が乙山殺害の犯人である旨の二通目の調書(乙5)を作成した。

右二通目の供述調書は否認調書であるが、右調書中には、それ以前に作成された上申書及び検察庁において作成された弁解録取書の作成経緯について、大略、次のような供述記載部分が含まれている。

「私は、乙山次郎を包丁で殺したということで、先ほどから検察官に事情を聞かれ、事情を聞かれる前に、言いたくないことは何も言わなくてよいという権利があることを聞かされて理解した。私は、乙山が私の子供である花子ちゃんのことを死んでもいいと言ったりしたことで、乙山の腰の横辺りを包丁で刺し、ベッドにいる乙山の首を刺したと話した。そして、検察官が、私が話したことを調書に書き、読んでくれ、それを通訳してもらった。私は、書かれている内容の一部について、乙山が玄関でパジャマ姿で靴を磨いていたのではなく、着替えはしていなかったことなどを話し、そのことを調書に書いてもらい、読んでもらい、通訳してもらった。私は、それらの内容が、自分が話したことと同じであり、間違いないので、名前を書いてサインをした。警察でも、昨日、乙山を包丁で刺して殺したと話した。そして、私は、警察で、紙に、乙山を殺したことも書いた。私は、警察官から、このように書けなどと言われたり、書くことを教えられたりしたことはなく、自分の考えで全部書いた。私は、乙山を包丁で刺して殺したことを認めて、そのことを警察で話し、警察官ではなく、検察官であると説明してもらったあなたに対しても、私が包丁で乙山を殺したと話してきた。しかし、本当のところは、私は、乙山を包丁で刺すなどして殺してはいない。私は、甲野が乙山を殺したのだと思っている。」。以上のとおりである。

なお、被告人は、南雲検事が被告人の要望に沿って二通目の調書を作成した後、同検事から、「勾留されると環境が変わりますから、くれぐれも体調に気を付けてください。ところで、どこか体調の悪いところはありますか。」などとその健康状態について尋ねられると、「何も悪くない、ナグモさん、心配してくれてありがとう。」と述べていた。

ウ  検察庁におけるその後の取調時(一一月二四日)の自白状況

南雲証言によると、検察庁における一一月二四日の取調べ時における被告人の自白状況は、以下のとおりであったと認められる。

南雲検事は、取調べに当たり、被告人に対して、黙秘権の趣旨を改めて説明した後、前回の弁解録取の段階で被告人が気にしていた死刑の点について、日本には死刑はあるが一人くらい殺しただけではなかなか死刑にはならないという実情を説明し、死刑のことを心配するよりも真実を話してほしい旨話した。すると、被告人は、「分かりました。ナグモさん、この間はうそをついてすみません。ごめんなさい。」と謝罪した。被告人は、南雲検事に対し、犯行当日の状況を話し、「ベッドで休んでいると甲野から電話があり、花子ちゃんの具合が悪いからすぐに病院に来てくれとのことであり、着替えをして病院に行こうとして乙山のいるテーブルの付近まで行ったところ、乙山に手をつかまれ、甲野に会いに行くんだろう、病院に行くななどと言われ、花子ちゃんなんか死んだらいい、死んでしまえと言われた。」旨供述したころから涙を流し始め、一一月二〇日の弁解録取時と同じように、机の前に両手をつくようにして泣きじゃくっていた。南雲検事は、同日、被告人の自白調書(乙6)を作成した。

エ  被告人が検察官の面前で否認に転じた時期及びその際の状況

被告人は、一一月二八日に検察官の面前で否認の供述(乙7)をしているが、南雲証言によると、その際の状況は以下のとおりであったと認められる。

被告人は、「ベッドで休んでいるときに、甲野から花子ちゃんの具合が悪いとの電話があった。それで乙山に病院に行くと言ったら、乙山と口論になった。」と供述し、南雲検事から口論の原因について尋ねられると、「口論になったことについては聞かないでほしい、言いたくない。」と返答した。被告人は、同検事から、殺害態様についても質問されたが、答えようとはしなかった。被告人は、答えない理由として、若い女性の弁護人から言わない方がいいと言われたので、もう言いたくないから聞かないでほしい旨述べていた。

オ  取調官の証言の信用性

以上の各取調官の証言は、いずれも具体的かつ詳細で、臨場感に富み、被告人の自白及び否認に転ずるに至る経過についての供述内容に格別不自然なところは見受けられず、その供述の信用性は高いものと認められる。

これに対し、弁護人は、南雲証言のうち、「弁護人から供述しないように止められていると被告人が供述した」旨の供述部分は、明らかな虚偽の証言であると主張するが、関係証拠を検討してみても、南雲検事が、弁護人の公判前の弁護活動、とりわけ被疑者に対する弁護人の助言の内容といったデリケートな問題について、ことさら虚偽の供述をしたとの証跡は存しない。被告人がある程度の日本語の会話能力を有しているとはいえ、外国人であり、日本語の理解力に劣る部分がある点など諸般の事情を考慮すると、被告人が南雲検事に対して述べたとされる言葉が、弁護人の助言内容をそのまま正確に伝えたものであったものかどうかはさておき、被告人が弁護人の助言を南雲検事に供述した内容のように理解し、乙山との口論の原因や犯行態様について供述しないことが自己に有利であるとの動機形成を行い、その旨を南雲検事に率直に吐露したものとみることは決して不自然ではなく、十分に考えられるところである。

カ  結語

以上に検討した上申書作成の経緯、取調状況及び被告人の供述態度並びに被告人が否認に転じた時期、否認に転じた際の状況及び一一月二八日以降は被告人の否認調書(乙8から12まで)が順次作成されているという一連の供述調書の作成経過に徴すると、取調官らが被告人を示唆、誘導し、又は被告人に脅迫、暴行を加えるなどして、上申書を作成させ、あるいは供述を録取したとの形跡は認められない。

(2)  自白内容の合理性

ア  自白の変動の有無及び変動の合理性

ⅰ 当裁判所は、被告人の自白には変動はあるものの、それらの部分については、その原因ないし事由が明らかであり、合理的な説明が可能であって、しかも乙山の言動、犯行の態様及び攻撃した部位その他の基本的かつ核心的な供述部分の相互間に矛盾や変動があるわけではなく、被告人の自白には信用性があるものと考える。

ⅱ 弁護人は、被告人の供述には自白と否認を繰り返すなどの変転があり、一貫性、整合性に欠ける旨主張する。

なるほど、被告人は、検察庁における平成九年一一月二〇日の弁解録取の段階において、直前の自白を翻して否認に転じ、甲野が乙山を殺したと思う旨の弁解をしている。しかしながら、被告人が右弁解録取の段階において、否認に転じた際の前記(二、11、(三)、(1)、イ、ⅱ)のような供述態度等に徴すると、被告人は、殺人事件という重大事件を引き起こしたことによって極刑に処せられることがあり得るかどうかといった点を含め、裁判の結果に著しい不安を抱いていたほか、できれば長女を連れて一日も早く帰国したいと切実に考えていたようにうかがわれる。そうすると、このような心境にあった被告人が、まず自白と否認の間で揺れ動き、次いで、前述した弁護人の助言を契機に、乙山との口論の原因や犯行態様等については供述しないことが自己に有利であるとの考えに至り、結局、その後は否認で通したという結果が、被告人の供述の経過に表れているとみても不自然ではなく、その経過において合理性が認められる。

加えて、被告人が否認に転じる際に、それ以前まで自白していた理由として述べる内容は、「私が乙山と浮気をして、甲野に悪いことをしていたことと、乙山が私と知り合って一緒に同棲したりしていたために殺されてしまったものであり、私にも乙山が死んだことについて責任があると思ったことから、昨日警察官に私が乙山を殺したと話した。」(乙5)とか、「甲野という者は絶対本当のことを言わないと思っていた。甲野が本当のことを言わなければ、乙山さんのことは解決できないと思ったので、甲野の代わりに私が責任をもったほうがいいと思って自白した。」(第一八回公判)というものである。そして、右の供述内容は、自己が関与していない殺人事件の責任をかぶろうとした理由としては、説得力に乏しく、不自然かつ不合理なものといわざるを得ない。被告人がこのように不自然かつ不合理な弁解をしていること自体が、裁判の結果等に不安を抱いて揺れ動く被告人の心境を如実に表しているものといえよう。

以上、要するに、本件は、合理的な理由もないのに自白と否認が変転している事案ではないから、自白の信用性が否定されなければならないいわれはない。

ⅲ 次に、弁護人は、乙山の言動、犯行の態様及び攻撃した部位等にかかわる自白相互間には矛盾や変遷があると主張する。すなわち、①上申書には、乙山が「お前が病院に行けないようにするためにお前を殺す。」旨述べたとの記載があるが、その後に録取された調書の記載との間には食い違いがある。②被告人が、台所において、乙山の腰の辺りを刺したのかどうか、刺したとして何回なのか、といった点について、上申書及び一一月二〇日付け検面調書では腰の辺りを刺した(上申書では二回、検面調書では一回)となっているが、その後の一一月二四日付け検面調書では「包丁を乙山に向けて突き出したが、どこに包丁が当たったのか、どこを刺したのかはっきりと覚えていないし、台所で乙山から血が出ていたという覚えはない。包丁が体に当たったという覚えはある。」との記載になっており、供述相互間に食い違いがある。③被告人は、ベッドに横たわっていた乙山の首辺りを包丁で刺したと供述しているところ、一一月二〇日付けの検面調書(乙4)には「布団を乙山の体の上にかぶせ、首を包丁で刺した。」旨の記載があるが、上申書では、殺害後に「自分自身を取り戻したようになったとき、毛布をかぶせた。」との記載になっており、一一月二四日付け検面調書(乙6)では「首の周りの血を見たくなかったので血が見えなくなるように掛け布団を乙山の体の上に掛けました。」との記載になっていて、供述相互間に食い違いがある、というのである。

そこで、弁護人の主張に沿って、以下、順次検討する。

① 「お前を殺す」旨の供述についての食い違い

お前を殺す旨の乙山の言葉については、上申書の作成後に録取された一一月二四日付け検面調書(乙6)では「乙山は包丁を取り上げて私を刺す、病院に行けないようにする、というようなことを言って、私の包丁を取り上げようとしてきました。」との記載になっている。この争点については、「刺す」と「殺す」の意味上の差異を強調すれば、供述の食い違いとして指摘することは一応可能ではあるが、評価を交えない生の事実としては共通の事実を述べたものとみる余地が多分にあると考えてよいと思われる。そして、いずれも被告人が病院に行くことを強く阻止する趣旨の供述をしたものとみれば、上申書と検面調書の記載との間に合理性のある範囲を超えるほどの食い違いがあるとは認められない。

② 腰の辺りを刺した旨の供述の食い違い

この点については、上申書では、乙山ともみ合っている間に、腰の辺りを合計二回刺したとの記載になっている。一方、一一月二〇日付け検面調書(乙4)では、乙山の「胸か腹の脇付近を包丁で一回刺した。そんなに強く刺していないので、傷は深くはなかった。」との記載になっており、同月二四日付け検面調書(乙6)では、前記弁護人の主張の②で引用したとおりの記載となっている。右の供述状況を全体的に観察すると、被告人は、乙山に向けて包丁を突き出した行為については一貫して明確に記載、あるいは供述しているものの、包丁が乙山の体に当たったという感触が弱かったためか、その後の取調べで攻撃の部位、回数等について厳密な供述を求められた際には、一義的に明確な供述ができなくなっていった経緯を看取することができる。そして、本件が計画的な犯行ではなく、いわゆる激情犯といわれる態様の殺人事犯であって、被告人が高度の興奮状態にあったと認められ、その記憶そのものに欠落や不確実な部分があり得るという点を併せ考慮すれば、取調官において、被告人の供述を逐一確認しつつ録取を重ねた結果、被告人の包丁を突き出した行為に関して整合性に欠ける供述部分が多少生じることになったとみる余地がある。したがって、この争点についても、合理性のある範囲を超えて食い違いが生じているとまではいえない。

③ 布団をかぶせて首を刺した状況に関する供述の食い違い

弁護人の指摘するこの争点に関する供述部分は、犯行態様に食い違いがあるという問題ではないというべきである。一方は、乙山の首辺りを包丁で刺す際に布団を乙山の体の上にかぶせて刺した点を供述したものであり、他方は、犯行後に首の周りの血を見たくないなどの諸般の理由から、毛布あるいは掛け布団を乙山の体の上に掛けた点を供述しているのであって、両者はそもそも全く異なる場面の供述であるから、供述相互間の食い違いという問題ではないのである。むしろ、その後の自白(乙6)中に布団の上から刺した旨の供述がない点が一応問題となり得るが、本件が高度の興奮状態の下で犯した犯行であってみれば、その旨の供述記載がないからといって、そのこと自体から供述相互間に食い違いがあるとまでは断ずることができない(もっとも、取調官としては、取調べの過程で、特定のテーマについて、前と同一の供述内容を得られないなどの状況が生じた場合には、その理由を供述者に問いただした上、その結果を有り体に調書に記載しておくなど、供述の変化を客観化しておくことが適切であろう。)。

ⅳ 以上の次第で、被告人の自白には、その信用性に影響を及ぼすような変動はないというべきである。

イ  動機の合理性

ⅰ 当裁判所は、被告人の供述する犯行の動機は、了解可能であり、その供述部分に変遷や動揺がなく、動機の形成にかかわる客観的状況ともよく符合し、合理性を有していると考える。

ⅱ ところで、弁護人は、①乙山はその妻と離婚することになっていたこと、②被告人と甲野との関係は完全に破綻していたが、温厚な性格の乙山との関係は蜜月のような間柄であり、乙山は被告人の長女の将来をいつも案じていたこと、③本件発生の直前において、被告人と乙山との不仲を示す兆候はうかがわれないこと、④本件発生の直後においても、被告人の乙山に対する愛情を示す言動は認められても、それに反する状況はうかがわれないことなどの諸点を挙げて、被告人には乙山を殺害する動機はないと主張する。

そこで、弁護人の主張に沿って、以下、順次検討する。

① 乙山とその妻との離婚の蓋然性

被告人は、乙山と同棲した後、乙山と結婚して長女とともに三人で暮らすことを夢見ていたものの、乙山は、妻との離婚を決断していたわけではない。この点は、妻に対して離婚を渋る乙山の言動(前記二、2、(四))や甲野との電話でのやり取りの際に乙山が見せた逃げ腰の言動(前記二、4、(一)、(2))からうかがわれる。乙山は、一一月一五日に妻と離婚についての最終的な話合いを持つことになっており、その話合いのてん末が被告人の思惑どおりになるかどうかは、予断を許さない状況であった。

したがって、本件発生当時、乙山がその妻と離婚することになっていたものと断定することはできない。

② 被告人と乙山の生活状況

乙山は、性格が几帳面で、明るく社交的ではあったが、結婚生活を送る中で、短気なところを見せ、思いどおりにならないと、言葉を荒げて粗暴な振る舞いをすることもあったようである(前記二、2、(二))。乙山は、被告人との同棲生活に入った以降においても、本件発生の一〇日ほど前には、被告人との間で、隣人に聞こえるほどの悶着を起こし、金銭問題に絡んで被告人を大声で怒鳴りつけるなどしている(前記二、3、(二))。このような事情に徴すると、被告人と乙山との関係が必ずしも円満な状態で推移していたものとはいえない。また、被告人が、長女を甲野から取り戻す方法について乙山に相談を持ち掛けた際、乙山が真剣に考えてくれる素振りを見せなかったため、乙山が長女を交えた三人の生活よりも、被告人と二人だけの生活を望んでいるように感じたことがあったことについては、被告人自身が捜査段階において認めているところである(同意書面、乙8)。

③ 被告人と乙山の不仲を示す兆候の有無

本件犯行の少し前ころ、被告人と乙山との間に、本件犯行の契機となるような不仲を示す兆候があったかどうかを検討する。

この点については、被告人が犯行を否認しており、乙山が死亡している関係で、前記認定の間接事実や経験則を踏まえ、合理的な推認を積み重ねてその真相を探るほかはない。

(a) 乙山の側からみた兆候

乙山と被告人は、同棲を続けることにより、お互いにそれぞれの配偶者に対する裏切り行為を続けている関係にあって、その共同生活の基盤は、客観的にみて甚だ脆弱であったものと認められる。そして、乙山と被告人との関係が必ずしも円満な状態で推移していたわけでもないことについては、先に検討した。乙山にとってみれば、一一月八日に被告人の夫の甲野が自分の留守中に自宅に現れたことは青天の霹靂であるから、被告人からの電話でそのことを知って、精神的にかなりの衝撃を受け、被告人が甲野を自宅に入れたことについて相当憤慨したものと認められる。加えて、乙山は、被告人に対し、当日、勤務先の上司のマンションから段ボール箱を運ぶ作業を手伝ってほしい旨依頼していたのに、右電話の際に被告人からそれを断られ、相当の不快感を抱いたものと推認できる。また、乙山は、甲野が乙山の自宅に現れた当日の深夜に、長女の容態が悪いからという理由で、被告人を甲野方の近くまで車で送らなければならなかったほか、翌一一月九日(日曜日)の午前二時ころ、被告人を車で迎えに行かなければならなかった。この間の乙山の心情には、やりきれないものがあったものと推認できる(前記二、4、(一)、(1)、(2)、(4))。そして、同日は、長女の容態が更に悪化したとのことで、被告人が乙山に無断で病院に向かったため、乙山は、散髪を終えて自宅に帰ったものの、玄関に錠がかかっていて入室できず、いわば閉め出された格好になっている。乙山は、そのような状態を他の居住者に目撃されているところから、ばつの悪い思いをし、被告人に対して腹立たしい気持ちを持ったであろうと推測される。また、乙山は、夕食もせずに被告人の帰宅を待っていたものの、被告人が病院から戻った時刻は既に午後九時ころであった。このような日曜日の夕刻以降の出来事は、乙山に強い不満の念を抱かせるに十分であったものと推認できる。乙山は、被告人が帰宅した後、被告人の依頼により、車を運転してビデオテープの返却のためにサリサリストアに赴いているが、その際、午後九時四〇分ころ、職場にいる上司や乙山と被告人との親密な関係を知悉している部下に電話で連絡を取り、上司に仕事を手伝う旨の意向を伝え、あるいは部下の自宅に車の鍵を持って行く旨を伝えて部下と会おうとしている。このような乙山の言動は、日曜日の同時刻以降、職場に赴くことを辞せず、あるいは部下と会って話をしようと考えていたことをうかがわせるものである。乙山と被告人との当日の折り合いが円満であれば、日曜日の夜のことでもあり、乙山としても、通常はこのような言動には及ばないはずである。さらに、乙山は、結局、自宅に戻ってビールを飲み、野菜炒めや焼き魚を食べているが、午後一〇時三五分過ぎという甚だ遅い時刻に、被告人の夫からの電話があり、被告人が急に外出してしまうという事態は、被告人の夫とその長女に前日から振り回されてきた乙山にとってみれば、その我慢の限度を超えるものがあったと推認することができる(前記二、4、(二)、(2)から(4)まで、(7)から(9)まで)。

以上のとおり推認される乙山の心情の一端について、被告人は、捜査段階における検面調書(同意書面、乙7、8)の中で、「乙山は、被告人が甲野を部屋に入れたことについて怒っていた。」(乙8)、「乙山は、被告人が玄関の鍵を渡して病院に行くと言った際、行くのを止めはしなかったものの、あまりいい顔をしなかった。」(乙8)、「午後九時過ぎころ、乙山方に戻った際、乙山はいつもと違って怒っているような顔をしており、言いたいことがあるなら言うようにと乙山に告げると、乙山は言いたいことはないと言ってはいたものの、不満げな様子であった。」(乙7、8)旨供述している。右の被告人の供述は、前記推認に係る事実を裏付けるものといえる。

以上、要するに、乙山の側に本件犯行の契機となった不仲を示す兆候はあったものと推認され、乙山が被告人の一連の行動に不満を募らせた結果、被告人を病院に行かせまいとして判示のような情の無い言動に及んだとしても、決して納得しかねる事態であるとはいえない。

(b) 被告人の側からみた兆候

一方、被告人の側に、不安定な精神状態といった要因、あるいは本件犯行の兆候となるような出来事があったかどうかについて検討する。

被告人は、甲野の被告人に対する暴力行為や家庭を顧みない生活状況あるいはスナックでの接客による心労等が積み重なったことなどもあってか、平成九年四月以降は、目付きが鋭くなり、意味不明なことを言ったり、甲野に対して荒々しい態度で食ってかかるというようなことが一度ならずあった。また、被告人は、当時、病院に無理やり連れて行ってでも治療を受けさせておけばよかったと甲野が後悔するほどの異常な言動を示したこともあった(前記二、1、(四))。さらに、被告人は、本件事件発生前の一一月七日、甲野方において、家出後の生活状況を甲野から聞かれ、別の男性と同棲している旨を告白している。被告人は、その際、非常に興奮して涙を流し、話の内容もまとまりを欠くなど、情緒が不安定な状態であった事実を認めることができる。以上の諸点は、被告人が、精神的な動揺を来すなどした際に、自力で情緒の安定を図り、自己の言動を抑制することを比較的苦手とするタイプの人物であることをうかがわせる間接事実である。

被告人は、一一月八日、同棲場所の乙山方を甲野に発見されて動揺し、甲野を室内に入れたとして乙山からは怒られた。被告人は、同日、喫茶店で、甲野から、乙山の妻が乙山にあてた手紙の内容を説明してもらい、乙山とその妻が直ちに離婚するような実情にないことを改めて理解した。そして、被告人は、甲野に対する愛情は冷めてはいたものの、最愛の長女が甲野の手もとに置かれている関係で、元のさやに納まってほしい旨の甲野の申出を完全に拒絶するわけにもいかない客観的な立場に置かれており、乙山との結婚の実現可能性についても、必ずしも自信が持てない複雑かつ不安定な精神状態にあった。現に、被告人は、捜査段階において、「乙山から、乙山の奥さんがやって来て離婚の話をすると聞いていた。乙山が私とずっと一緒にいてくれるのかを確かめるために、奥さんがやって来た時は、私がホテルに泊まると乙山に話をし、乙山が私が泊まっているホテルにやって来れば、私に愛情があることが確認できると思った。」(同意書面、乙8)などと供述し、乙山の真意をいまだに量りかねている状況を述べている。この点は、甲野の検面調書(甲65)の次の部分、すなわち、「一一月九日午後九時前ころ、買物をして病院に戻った際、病室にいた妻に対し、「娘のために、三人仲良くもう一度やれないか。もう一回戻ってくれよ。」と言った。しかし、妻は、怒りながら、「だから、ちょっと待ってと言ったでしょう。」と言い、「彼の奥さんが近々戻ってくるの。それを確かめてから決めようと思ったんだから。彼が奥さんと会うとき、私がホテルに泊まり、彼と奥さんが話合いをする。そのとき、私は、彼に私と一緒にホテルに泊まってくれるの、と言ってみる。もし、彼がマンションで奥さんと話をすると言ったら、もうそこで、彼のマンションを出ていく。彼の気持ちが分かるから、そうしたら戻るから。」と言った。」との部分と符合する(なお、被告人は、甲野にこのようなことを言ったのは、病室ではなく、長女に会うために甲野の家に行った時である旨当公判廷で述べているが、両者の供述は内容的には符合する。)。

さらに、被告人は、一一月九日午後七時ころには、救急処置室で、甲野から、長女の病状にむとんちゃくである旨皮肉を言われ、その際、甲野と大声で口論をしている(前記二、4、(二)、(5))。そのような経緯から、被告人は、一一月九日午後一〇時三五分過ぎに甲野から長女の病状が相当重い旨の連絡を受けた際には、是が非でも病院に駆け付けなければならないという極めて切迫した心情にあったものと認められる。

以上、要するに、被告人の側においても、極めて不安定な精神状態といった要因や本件犯行の兆候となるような出来事があったものと推認することができる。そして、精神的に極めて不安定な立場に置かれ、しかもそのような場合に自己の言動を抑制することを比較的苦手とするタイプの被告人が、病状が悪化した最愛の長女のところに駆け付けようとした際に、乙山から別れ話や長女の死まで口にされて激高したという経緯は、犯行の動機形成の過程としてみても、不自然ではなく、合理性を有しているとみることができる。

④ 本件発生後における被告人の乙山に対する愛情を示す言動の有無

弁護人は、被告人が一一月一〇日の早朝に乙山方に電話を入れ、乙山を見送る趣旨のメッセージを留守番電話に入れていることや乙山方に戻る際、駐車場に乙山の車が置いてあるのを見て、乙山がわざわざ会社から戻って被告人に会いに来たのではないかと思いうれしかったと述べているのは、乙山に対する被告人の深い愛情を示すものであると主張する。

しかしながら、早朝に右のメッセージを留守番電話に入れた点は、既に検討したとおり(前記二、10、(二))、むしろ、自らの犯行をカムフラージュするための行動とみるのが相当である。また、被告人の供述によると、被告人は、一一月一〇日の朝に乙山方に戻る際、通常の歩行ルートとは異なる道筋を選び、遠回りをして○○ビル付近の契約した駐車場(以下「契約駐車場」という。)の脇を通り(甲42、44)、契約駐車場に駐車してある乙山の自動車を発見したということになるが、被告人がわざわざ遠回りをして乙山方に戻ろうとした理由が必ずしも明らかではない。そして、被告人の従前からの認識によれば、契約駐車場は、乙山方から必ずしも至便な場所に位置しているともいえないため、乙山は、出勤後に一時的に自宅に戻るときなどには、その後の行動の便宜を考えて、契約駐車場ではなく、○○ビルの脇に自動車を駐車させていたとのことである。そうであるとすると、被告人が契約駐車場に駐車してある乙山の自動車を発見したのであれば、その約一時間三〇分前ころに乙山が電話に出なかったことなどに思いを致し、乙山の身に異変があって、いまだ出勤していないのではないかと不安に思う方がむしろ通常であろう。被告人が、甲野から乙山方に戻らない方がいいと言われて嫌な予感がしたと述べながらも、契約駐車場で乙山の自動車を発見したときには「まず、とてもうれしかったのです。」(第二一回及び第二三回公判)と供述している点は、被告人の当時の率直な心情を述べたものとは認め難い。そうすると、被告人の右公判供述は、乙山に対する深い愛情を示すものであるとはいえない。

ⅲ 以上の次第で、弁護人の主張はいずれも当たらず、被告人の供述する犯行の動機には合理性があると認められる。

ウ  自白内容の合理性

ⅰ 当裁判所は、被告人の自白は、その内容自体からみても、また、客観的状況との関連において検討してみても、合理性があるものと考える。

ⅱ 弁護人は、①被告人が乙山の腰を刺す前までの乙山の被告人に対する暴行と、被告人が乙山を刺した後の乙山の無抵抗の状態は、著しい対照を示していて極めて不合理であること、②乙山と被告人の性別、体格、体力の違いを前提とすると、被告人の殺害行為中、乙山が逃げるばかりで無抵抗であるのは著しく不自然であることの二点を指摘して、自白の内容が合理性を欠いていると主張する。そこで、弁護人の主張に沿って、以下、順次検討する。

① 乙山の攻勢と劣勢との間の著しい対照が不合理であるとの主張について

被告人の自白によると、乙山は、当初こそ被告人の外出を制止する限度で判示のとおりの暴行を加えていたものの、その途中において、被告人から包丁による攻撃を受けるに至ったという経緯が明らかであり、被告人が途中から包丁を手にすることにより、いわゆる武器対等性を著しく欠いた客観的状況が生まれたものと認められる。そうすると、けんか口論の前半における乙山の被告人に対する攻勢と被告人が包丁を持ち出した後における乙山の劣勢との間には、それなりの合理性があるものと考えることができる。

② 被告人の殺害行為中、乙山が無抵抗であるのが著しく不自然であるとの主張について

被告人の自白によると、乙山は、被告人の手にする包丁を取り上げようとして被告人の後ろから抱き付いたが、その際に被告人から強烈な肘打ちを受けるなどしたため、これによりいったん寝室に逃れてベッドで横になったところ、被告人から追い掛けられて包丁による一方的な攻撃を加えられたといった状況が認められる。右自白は、武器対等性を著しく欠いた客観的状況が生まれて以降の、その延長線上における被告人の一方的な攻撃と乙山のベッド上での防御の展開を自然な形で述べたものと認められ、合理性がある。そして、乙山の受けた主要な創傷がベッド上で乙山が防御的、逃避的な姿勢にあるときに形成され、右創傷による出血もその際に生じたものとみることは、死体の状況や現場の状況と符合している。そうすると、被告人の乙山に対する殺害行為に係る自白内容は、自然でかつ合理的であると考えられるのであって、弁護人の主張は当たらない。

ⅲ 弁護人は、①乙山のおびただしい血が付着した凶器を台所の引き出しに戻すことは、犯行を自認するようなものであるから、被告人の行動としては不自然、不合理であること、②被告人が犯人であれば、翌朝、乙山方を再度訪れた際に、凶器を隠匿、投棄するのが合理的な行動であるが、凶器の処分をしていないのは不自然であること、③着衣を着替えないで、そのまま病院に行っているのは殺人を犯した者の行動としては理解できないことなどの諸点を指摘して、自白の内容が合理性を欠いていると主張する。そこで、弁護人の主張に沿って、以下、順次検討する。

① 血痕付着の凶器を台所の引き出しに戻した点が不自然、不合理であるとの主張について

被告人が急いで病院に駆け付けなければならない切羽詰まった状況にあったこと、病院に行くのに血の付いた包丁を持ち出すわけにもいかないと考えても不思議ではないこと、犯行直後のこととて、ことのほか周章狼狽していたものと考えられることなどの諸事情にかんがみると、凶器を台所の引き出しに戻した時点がいつであったのかといった点はさておくとしても、被告人がその犯行直後に凶器としての包丁を処分できなかったことが不自然、不合理であるとまではいえない。

② 犯行の翌朝に凶器を処分していない点が不自然であるとの主張について

関係証拠に照らすと、被告人が犯行の翌朝に乙山方に入室したとすると、その時点から病院に赴くまでにはおよそ三〇分程の時間的な間隔があったものと認められる。そうすると、被告人が、乙山方において、事後工作のための何らかの行動をとろうとすれば、それが可能であったようにうかがわれる。しかしながら、血の付いた凶器を隠匿、投棄するには、凶器を持ち出すことによってその罪証隠滅行動を目撃されるおそれや、隠匿場所との関連において犯人が特定されやすいといった危険性があることに徴すると、被告人にとってみても、それなりの大胆さと慎重な配慮が必要となろう。そのように考えると、被告人が早朝に凶器の処分に思い悩んだ末、結局、これを台所に置いた状態にして、乙山方から持ち出すことができなかったとしても、不自然であるとはいえない。

③ 犯行後に着衣を着替えなかった点が不自然、不合理であるとの主張について

犯行の際の着衣を着替えないことが不自然、不合理であるといえるのは、犯行の痕跡が着衣に残っていることあるいは残っているおそれがあることを、被告人自身が現に認識していた場合であろう。関係証拠上、着衣に血痕が付着していること自体が肉眼によっては判明しにくかったという状況がうかがわれることに加え、被告人が急いで病院に行かなければならなかったという事情があったことなどからすると、被告人が着衣への血痕の付着に気付かず、あるいは血痕の付着のおそれを認識しないまま着衣を着替えずに病院に行ったとしても、その行動を不自然、不合理なものとみるのは相当でない。

ⅳ 以上の次第で、被告人の自白には、その内容に弁護人の主張するような不合理な点は認められない。

エ  結語

以上のとおり、被告人の自白の変動の有無及び変動の合理性、犯行の動機自体の合理性並びに犯行の動機の点を除く自白の内容自体の合理性のそれぞれの観点から子細に検討してみても、被告人の自白の信用性は揺るぐことがなく、その信憑性は高いというべきである。

(3)  体験供述性

ア  本件における体験供述性とその特徴

被告人の自白は、犯行直前の状況や犯行状況等を具体的かつ詳細に述べたものであり、乙山から病院に行くことを制止された状況などは特に迫真性に富んでいる。とりわけ、被告人が乙山から手をつかまれて病院に行くのを止められた際、被告人が「ねえ、オツヤマ、付き合う前に、私には子供がいるとあなたに話したよね。」(乙3)と言って、子供の病状の悪化という事態の下で、母親として子供のもとに赴かなければならないことについての当然の理解を乞い、それに対して乙山が怒った顔をして、「どうして俺だけがお前のことを理解しなければならないんだ。」(乙3、6)との趣旨の不満の言葉を発したとの供述内容は、本件犯行に至るまでの経過的なやり取りの一部を赤裸々に告白したものとみることができる。被告人作成の上申書(乙3)は、被告人自らが母語であるタガログ語で作成した長文のものであり、その内容も極めて具体的かつ詳細である上、現在では、被告人以外には知り得ない、被告人と乙山の二人だけの間で交わされた会話の内容や、被告人がなぜ包丁を手にして乙山を刺すに至ったのかという経緯を有り体に記載していて、既に検討したとおり、その内容自体に照らしてみても、捜査官に誘導されることによっては到底作成し得ないようなものである。

以上、要するに、被告人の自白は、体験性を伝える供述の特徴としての臨場感、具体性、詳細性及び写実性等をよく表しているものと認められる。

イ  情景描写及び秘密の暴露と被告人の基本的な供述姿勢等

弁護人は、被告人の自白からは、殺害行為時の乙山がどんな力を出してどんな抵抗をしたのか、どんな声を出し、どんな音がしたのか、被告人は何を叫んだのか、泣きながら刺したのかなどの情景が全く見えても聞こえてもこないし、秘密の暴露もないと主張する。

確かに、被告人の自白には、弁護人の具体的に指摘している情景描写という点に限ってみれば、その内容に乏しいきらいがあり、秘密の暴露が含まれているわけでもない。しかしながら、犯人が、自白に際し、どの程度の犯行状況を供述するか、あるいは秘密を暴露するかは、当該犯人がどの程度まで実際に起こった出来事を供述しようとするかという、その基本的な姿勢や態度に影響されるところが大きいといってよい。本件が、結婚を夢見ていた相手を一時の激情に駆られて刺し殺すに至った凄惨な殺人事件であってみれば、その事案の性質、被告人と乙山との従前の親密な関係及び被告人の性格等諸般の事情から、被告人が殺害の具体的な場面にかかわる特定の事項等について詳細な供述を回避する基本的な姿勢をとったとしても、あながち不自然とはいえない。

また、本件においては、被告人が外国人で、タガログ語の通訳を介して取り調べなければならなかったという時間的、技術的制約及び被告人が捜査の比較的早い段階で否認に転じたという時期的制約といった要因も、供述調書の内容及びその濃淡に微妙に影響を及ぼしたものと認められる。

以上によると、弁護人の指摘は、本件の場合においては必ずしも当たらない。

ウ  不可思議な行動についての合理的な説明

弁護人は、被告人が犯行後に、別の部屋から座布団を持ってきてベッド上の乙山の頭の付近に置いたこと、ベッドやテーブルの下などを水でぬらしたこと、水の上の辺りに乙山の茶色のズボンを置いたこと、皿を洗うところの下に包丁を置いたこと、香水をまいたこと、鞄を開け、開けた引き出しを床に置いたことなどの不可思議な行動をとった事実を供述しているにもかかわらず、そのような行動に出た理由については、「そのようなことをいつ何のためにやったのか、もっとよく考えて思い出し、話します。」(乙6)と述べるだけで、結局、その理由についての供述をしていないのは、被告人がこれらの行動を実際に体験していないからであると主張する。

そこで、検討するに、被告人が犯行後の行動の理由について語っていないというこの争点について留意すべきは、被告人が、弁護人の指摘する以外の自ら体験していると思われる事実関係についても、事後工作等にかかわる事項についてはあいまいな供述をしているということである。例えば、「朝になり、私は、自宅に戻ったのですが、乙山がもう既に死んでいるのに、何で戻ったのかよく覚えていません。病院から乙山のいる自宅に電話をかけた覚えがありますが、何で電話をかけたのか、何時ころかけたのか覚えていません。乙山を私が殺してしまっていたので、誰かが乙山が死んでいるのを見つけてしまったのではという不安のような気持ちもありましたので、その様子を知りたいと考えて自宅に戻ったような気もしますが、よく考えて思い出します。」(乙6)というのがそれである。とりわけ、早朝に乙山方に電話をかけた点は、客観的な証拠から明らかな被告人の体験事実であるが、被告人が電話をかけた理由及びその時刻についてあいまいな供述をしている点は、極めて特徴的な供述回避の態度とみてよいであろう。また、被告人は、本件犯行後のいずれかの時点で、血痕の付着した枕に水をかけてその枕を裏返しにして置くなどしたものと推認されるが(前記二、5、(五))、この点についても、被告人は自ら進んで供述をしているわけではない。被告人の事後工作等の行動については、そのすべてを犯行直後に行ったものか、それとも死後相当時間を経過した早朝に、乙山の死体に直面してから行ったものも含まれているのかどうかといった微妙な心情の吐露にかかわる問題が伏在しているようにうかがわれる。そうすると、結局、否認に転じる前の時期的な制約の中で、その理由についての供述が被告人から得られなかったとしても、不自然、不合理であるとはいえず、被告人が前記の行動を実際に体験していないからであるなどと一義的に考えるのは相当でない。

なお、右事後工作等の行動を被告人の行為としてみることが不可思議で、到底了解不可能であるとみなければならないものかどうかという点について、念のため付言する。まず、別の部屋から座布団を持ってきていること、乙山のズボンを置いていることなどは、流出するなどした多量の血液に対する何らかの配慮あるいは付着した血液を覆うという心理などから、室内にある座布団や衣類の置き場所に精通した被告人が比較的容易に行い得る、さほど特異ともいえない行動であると考えても不自然ではない。次に、まかれている香水が被告人の愛用するもので、その置き場所についても被告人がよく把握していたことからすると(同意書面、乙9)、香水をまいて特定の臭気を止めるといったような行為も、それが犯行直後であったかどうかは別として、被告人が実行したものと考えて矛盾はなく、不自然でもない。さらに、ベッド等における主として血液の付着している部分あるいは付着した可能性があると考えられた部分を水でぬらしていることについては、その時期がいつであったのか、また、被告人の当時の意図がどのような効果を狙ったものであったのかは必ずしも明らかではない。しかしながら、台所に置かれていた水滴の付着したボウルに人血と被告人の右手拇指指紋及び右手掌紋が付着していた(前記二、6、(二))ことから、水をまいたのは被告人であることが強く推認されるので、被告人の犯行後の一連の行動の一つとみて差し支えない。最後に、木製棚に置かれている小物入れの引き出しを床の上に出しっぱなしにしている点などについても、自己の犯行をカムフラージュするための行動とみる余地があることからすると、やはり格別不可思議な行動とはいえない。

エ  結語

以上によると、被告人の自白は、前記のとおり、体験供述性を伝える供述の特徴を基本的に備えている上、特定の事項について、被告人の供述を得られていない部分があるものの、それらについては供述を得られないことがあってもやむを得ない事情がうかがわれる。そうすると、弁護人の指摘するような諸点が存在するとしても、そのこと自体から、直ちに自白の信用性が失われたり減殺されたりするものではない。

(4)  自白と客観的証拠との符合性

自白内容が被告人の経験に基づいた事実の供述であることを前提とする限り、通常、自白内容と客観的証拠との間に矛盾を生ずることはあり得ないはずである。当裁判所は、結論として、被告人の自白は、被告人の着衣への血痕付着状況、死体の状況及び犯行現場の状況等の客観的な証拠と符合しており、格別矛盾するところはないと考えるので、以下、順次補足して説明する。

ア  自白と被告人の着衣への血痕付着状況との符合性

千葉大学医学部法医学教室教授木内政寛は、被告人の着衣に存在する点々とした非常に小さな血痕が付着するに至った原因としては、乙山の身体等に付いた血溜まりの血液が凶器に当たって飛び散ったか、あるいは凶器に付着していた血液がその凶器を振り回した際に飛び散ったというような可能性が考えられる、との所見を示している(木内証言)。右の所見に照らすと、被告人が、寝室に逃れてベッドで横になっている乙山に対し、本件包丁による一方的な攻撃を加えたことを内容とする被告人の自白は、被告人の着衣への血痕付着状況と符合し、矛盾しないものと考えられる。

ところで、医師上野正彦は、当公判廷において、本件のような小さい点々とした血痕が着衣に付着する可能性について、犯行の現場に立ち会っていたとするならば、犯人の振り回した凶器に付いていた血が飛び散って、立ち会っていた者の着衣に付着することがあり得る旨を供述する。他方、上野医師は、死体所見等によると、防御創と判断できる多数の切創がみられ、加害者と被害者の間に攻撃と防御の行動があったと推定されるので、このような格闘のあった状況下では、犯人の体や着衣にはかなりの返り血が付着するはずであると述べている。そして、上野医師は、加害者と被害者との間に「格闘」があったことを前提にした上、被害者が加害者の着衣あるいは手をつかんでいること及び血管の切れた被害者の手が防御のために振り回されている状況を想定し、着衣に相当の返り血が付着したはずである旨推理するのである。しかしながら、上野医師が「格闘」の内容及び形態として具体的に例示する、被害者が加害者の着衣等をつかみ、血管の切れた被害者の手を振り回すといった被害者の防御の態勢は、あくまでも一つの可能性を推理したものにすぎない。また、上野医師は、体表に近い動脈が切断されない限り、血液が多量に噴き出すことはないことを自らも認めている。

そうすると、被害者である乙山が上野医師の具体的に例示する防御の態勢をとったかどうかという点が一義的に明確であるともいえない本件事実関係の下においては、上野医師の所見によって、被告人の自白が客観的な血痕付着状況と矛盾することになるとはいえない。

イ  自白による犯行時刻と死亡推定時刻との符合性

ⅰ 自白による犯行時刻

甲野供述及び被告人の自白によると、被告人が乙山を刺した時刻は、被告人が甲野から長女の容態が悪化した旨の電話連絡を受けた後で、被告人が病院に行くまでの間ということになる。甲野が被告人に右の電話をかけた時刻は、厳密にいえば、一一月九日午後一〇時三五分三九秒から約五二秒間であると認められ(甲111)、被告人は、同日午後一一時の少し前ころには病院に着いていたと認められる(甲48、50)。そこで、被告人が乙山方において、甲野との通話を終了した後の同日午後一〇時三六分三一秒(以下「三六分過ぎ」ということがある。)以降から、同日午後一一時の少し前ころまでの時間帯に犯行がなされたものとみることが、客観的な死体の状況と整合性を有するものかどうかについて検討する。

ⅱ 法医学の専門家の死亡推定時刻に関する所見

実際に司法解剖を行った木内教授の死亡推定時刻に関する所見は、死体現象及び周囲の状況から経験的に考察して、検視時の直腸温度の測定時刻(平成九年一一月一〇日午後三時一六分)における死後経過時間は一二時間ないし一五時間で、死亡推定時刻を一一月一〇日午前零時一六分から同日午前三時一六分の間であるとし、その上で少なくとも前後二、三時間の誤差範囲をとり、結局、死亡推定時刻を一一月九日午後九時一六分ころから同月一〇日午前六時一六分ころまでの間であるとするものである。また、食後経過時間に関する所見は、食後約三時間以内と推測するというものである(木内証言、証人宮地治の当公判廷における供述、甲9)。

これに対して、医師上野正彦作成の鑑定書及び同人の当公判廷における供述(以下「上野証言」という。)によれば、乙山の死亡推定時刻は、同月一〇日午前二時三〇分ころから同日午前四時三〇分ころで、食後経過時間は、食後三〇分から三時間以内と推定するというものである。

さらに、日本医科大学教授大野曜吉作成の鑑定書(以下「大野鑑定」という。)及び同人の当公判廷における供述(以下「大野証言」という。)によれば、乙山の死亡推定時刻は、同月一〇日午前四時から午前七時ころというものである。

以上の法医学の専門家の所見によると、食後経過時間については、食後約三時間以内あるいは食後三〇分から三時間以内とみることで木内証言と上野証言の内容が概ね一致しているが、乙山の死亡推定時刻については、三者三様の結論が導かれているという状況にある。

ⅲ 各所見の検討

そこで、右の各所見について検討する。

① 木内教授及び上野医師の食後経過時間に関する所見について

乙山が、被告人を車に乗せてサリサリストアを訪れた時刻は、一一月九日午後九時三八、九分ころであり、被告人は、前日借りたビデオテープ二本を返却し、代金二〇〇円を支払って直ちに店を出ていることが認められる(甲52)。サリサリストアから乙山の契約駐車場までの所要時間は車で六、七分であり、駐車場から乙山方までは徒歩で約一分四五秒ほどであるから(甲43)、乙山は、午後一〇時前ころには帰宅して、その後まもなくビールを飲みながら野菜炒めや焼き魚を食べたものと推認できる。そうすると、犯行時刻を午後一〇時三六分過ぎころから午後一一時の少し前ころまでとすることは、木内証言及び上野証言による乙山の死体の胃内容物の状態からみた食後経過時間に関する所見とは矛盾しない。

② 上野鑑定による死亡推定時刻の妥当性について

上野鑑定について検討するに、同鑑定の手法は、まず、「気温摂氏二〇度とした場合には、死後はじめの七時間に直腸内温度は摂氏一度降下し、以後毎時摂氏0.5度降下する」という経験上の推測を鑑定の基軸に据え、死後経過時間を一五時間と算出して被害者の死亡時刻を一応一〇日午前零時と推定した上で、室外の夜間気温が摂氏五度から七度であったこと、被害者が大量に失血して体温が奪われたであろうことを考慮し、「摂氏二〇度を条件として得られた前記死後経過時間から更に三時間から四時間を差し引いて死後一一時間から一二時間を経過しているものと修正し、死亡推定時刻を一応一〇日午前三時から四時ころとし、さらにその中間をとって午前三時三〇分プラス・マイナス一時間として」前記鑑定結果に至ったものである。長年にわたり監察医を務めた経験を持つ上野医師は、死後経過時間の推定は、法医学的に非常に難しく、数学の方程式のようには決められず、経験に基づいて推理することにならざるを得ない旨、死後経過時間の推定手法には限界があることを自ら認めている。その上で、上野医師は、木内教授の推定する死亡時刻について、「木内医師が推定する死亡時間に被害者が死亡しているものと考えるが、木内医師の判断は、間違いではないにせよ、推定する時間帯(幅)があまりにも大きすぎて漠然としすぎている。」(弁42)と指摘している。しかしながら、上野医師の右鑑定結果は、本件犯行現場における実際の室温の変化等の客観的条件を度外視した一般的な推測法に基づくものであって確実な根拠とはなり得ないものであり、鑑定人自身が「外れているかもしれませんけれども、当たっている可能性が高いということを信じている。」旨述べている鑑定結果である。

そうすると、上野鑑定を本件にそのまま適用することの妥当性については、慎重でなければならない。

③ 大野鑑定による死亡推定時刻の妥当性について

乙山の死亡推定時刻を一一月一〇日午前四時ころから午前七時ころとする大野鑑定の妥当性について検討してみるに、同鑑定は、死体の胃の中に泥状の三七〇グラムという大量の食物残渣が存在している状態とあまりにもかけ離れており、この点において採用し難い鑑定結果であるとの反対意見(上野証言)を無視することはできない。大野鑑定及び大野証言は、犯行時刻を「一一月九日午後一〇時三〇分から一一時」とすることは、死体の角膜が「透明」という所見と矛盾するので誤りであると断じている。しかしながら、角膜による所見は、直腸温度や胃の内容量等に比較して、元々主観が入りやすくて判定の精度も低い上、死体の第一発見者等の目の扱い方によって混濁に関するデータに異変が生じ得ること(上野証言。ちなみに、本件における「透明」という所見は、実況見分時における司法警察員によるものであり、当初、両眼は閉じていた。甲8)に照らすと、死体の角膜が「透明」との実況見分調書の記載内容に過誤が介在していないことを前提として断定的な結論を導いている大野鑑定は、この点において疑念を容れる余地がある。なお、大野鑑定の採用する死亡推定時刻を確定するための直腸温降下曲線法という手法により実際の推定を行うには、環境温、腰囲及び二点の直腸温の確保が必要である。それによって、死体によって異なるため事前に設定できないパラメーターである熱伝達率をコンピュータ上で計算させ決定してやることで、二点を通る唯一の直腸温降下曲線を求めることになる(大野鑑定)。ところが、大野鑑定が確保した死後経過時間推定のために評価可能なデータは、一一月一〇日午後三時一六分の時点において、直腸温が32.8度(霊安室の室温21.6度)であったということだけであるから、本件は、直腸温降下曲線による推定をそのまま利用するには難があるケースであるといわなければならない。そして、大野鑑定の採用する右手法については、大野教授自身が、前提となる条件いかんによって適応性に問題が生じる場合があり、いつも正しい結果が出るわけではないと認めている。また、上野医師も、大野鑑定の右手法について、「それがあらゆる事件に適用されるかというと、全然当てにならないケースもある。」と評価している。

以上の諸点を考慮すると、大野鑑定を本件にそのまま適用することの妥当性についても、やはり慎重でなければならない。

ⅳ 結語

以上、要するに、死後経過時間の推定は、死体現象に個人差が大きく、気温その他外界の状況や死因により進行速度が異なるという乗り越えがたい壁があるために、現在の法医学において、最も困難な鑑定事項の一つとされており(弁32)、法医学者及び監察医の間においても、三者三様の推測方法があるということ自体が当然のこととして承認されている現状からすると、上野鑑定及び大野鑑定は、いずれも前記木内教授の死亡時刻に関する所見が誤りであると断ずることのできるような鑑定内容であるとまではいえない。

一方、食後経過時間については、食後約三時間以内あるいは食後三〇分から三時間以内とみることで木内教授の所見と上野証言の内容が概ね符合していることからすると、犯行時刻を一一月九日午後一〇時三六分過ぎころから午後一一時の少し前ころまでの間とみることは、客観的な死体の状況と矛盾するものではなく、被告人の自白との整合性に格別問題はないといってよい。

ウ  自白による動機と創傷の数、程度との符合性

弁護人は、自白による動機では、創傷の数の多さと程度の激しさを説明できないと主張する。すなわち、本件の殺害動機は、衝動的、偶発的な犯行とされているが、衝動的殺人であれば、精神異常者でもない限り、攻撃の回数は少ないのが経験則の示すところであり、乙山の創傷の数と程度は、突然の乙山の言葉に激高して、被告人が突発的、偶発的に加えたものとした場合には全く相容れないというのである。

しかしながら、被告人の供述する前記のような動機にかんがみると、創傷の数の多さと程度の激しさを説明することができないなどとはいえない。また、創傷の数の多さの点については、乙山が防御的、逃避的な姿勢をとる過程で不可避的に創傷が多数に及んだとみる余地もあるから、あながち不自然であるとはいえず、弁護人の主張は当たらない。

エ  自白による犯行態様と創傷の部位、程度及び数との符合性

弁護人は、自白が客観的な創傷の部位、程度及び数と一致せず、しかも自白による犯行態様が客観的証拠と矛盾し、かつ不自然であると主張する。

ⅰ 腰部の創傷の不存在とその他の部位の多数の創傷についての合理的な説明

弁護人は、自白によれば腰部付近に一、二回加えられたはずの創傷が客観的には存在せず、自白にその他の多数に及ぶ創傷についての説明が一切ないのも不自然であると主張する。

まず、被告人の自白を全体的、総合的に考察すると、腰部付近に確実に創傷が形成された旨を被告人が自白している趣旨であるとまでは解することができないから、腰部付近への攻撃に係る自白が客観的証拠と矛盾しているとはいえない。

次に、被告人は、「夢中になっており、包丁で刺していたし、何回くらい刺したのか、ベッドの上に乗ったりしたのかなどは、よく覚えていない。」(乙4)、あるいは、「とにかく、恨んでいたので、私とすれば、私の一番強い力を出して包丁で首を刺した覚えがある。首を包丁で刺したことは、はっきりと覚えているし、首から血が出てきたのも覚えている。首を刺した時は、ベッドの上に立っていたのか、しゃがんでいたのか、どんな格好をしていたのかよく覚えていない。何回か首の辺りを包丁で力強く刺したようにも思うが、その回数等は覚えていない。」(乙6)などと供述している。このような供述状況からは、被告人の犯行当時の高度の興奮状態がうかがわれるのであって、そのような状態においては、被告人の記憶が不確実となり、あるいは一部欠落することも十分にあり得ることといわなければならない。したがって、このような事案において、自白内容と客観的証拠との間に符合性があるかどうかを検討するに当たっては、その間に合理性のある範囲を超えるほどの重大な食い違いが含まれているかどうかを問題とすべきであろう。そして、本件創傷が、非常に短時間の間に、しかも、乙山において防御的、逃避的な姿勢あるいは状態にあった際に形成されたものと考えられることからすると(木内証言)、高度の興奮状態にあった被告人が、防御的な姿勢にある乙山を攻撃した際に、その結果として随所に形成された創傷の部位を一つ一つ記憶していないからといって、格別怪しむには足りない。

そうすると、多数に及ぶ創傷についての説明がないからといって、直ちに自白自体の信用性が失われ、あるいは減殺されるものと考えるのは相当でない。

ⅱ 後頸部刺創の時期及び乙山の防御的行動

弁護人は、自白によると、多数回に及ぶ乙山への攻撃の最終的局面の首辺りへの攻撃が、最初の攻撃として述べられている上、延髄切断により即死状態を招来させたはずの後頸部刺創の後に乙山が両手を頭の付近にもっていって頭を手でつかむようにしたなどと即死状態後の乙山の行動が述べられているが、右自白は科学的な知見と相容れないと主張する。

そこで、検討するに、そもそも乙山の頸部付近には数か所に創傷が認められるのであって(前記二、5、(二))、被告人の供述する頸部への攻撃が、最終局面の攻撃として述べられたものであるとは断じ難く、したがって、それが即死状態を招来させたはずの攻撃であるともいえないから、弁護人の主張は、その前提を欠いているといわざるを得ない。

ⅲ 乙山の抵抗状況等についての合理的説明

弁護人は、頸部への攻撃に先立って加えられているおびただしい回数の攻撃や客観的証拠が示す乙山との激しい攻防、とりわけ乙山の抵抗の内容、程度などを示す乙山の位置、体位、時間等について、自白中に何ら語られているところがないのは不自然であり、不合理でもあると主張する。

そこで、検討するに、本件は、前記のとおり、被告人が高度の興奮状態にあって、無我夢中で一方的な攻撃を加えたという形態の殺人の事案である。そうすると、被告人の攻撃の様相や乙山の位置、体位及び抵抗の時間等を含む乙山の対応については、元々被告人の記憶そのものに不確実なところがあってもやむを得ないものと考えられる。また、乙山の具体的な抵抗の内容等については、被告人の供述回避的な姿勢の影響もあって、否認に転ずるまでの時期的な制約等の中で、弁護人の指摘するような状況が調書上に記載されるまでには至らなかったものとみる余地も十分にある(前記二、11、(三)、(3)、イ)。

そうすると、被告人の自白が不自然かつ不合理であるとの弁護人の前記の主張は当たらない。

オ  自白と弁護人の主張するその他の客観的証拠との符合性

弁護人は、自白が前記以外の客観的証拠とも矛盾するとして、次のとおり主張するので、順次検討を加える。

ⅰ 包丁の柄の状態との符合性

乙山の創傷の数、程度が甚だしい上、ルミノール発光試験の結果、洗面所の洗面台上などが陽性反応を呈していることからすると、洗面所で犯人が血の付着した手を洗っていることが推測されるが、このことは、包丁を握った手又は包丁の柄の部分におびただしい血痕が付着したことをうかがわせる。ところが、包丁の柄には血痕の付着がなく、そこからは指紋も検出されていない。そうすると、被告人が素手で本件包丁を持って犯行に及んだという供述の信用性には重大な疑問がある。弁護人は、以上のとおり主張する。

そこで、検討するに、乙山の身体には多数の創傷が認められるものの、既に検討したとおり、皮膚の表面の動脈を切ったことによる損傷がないことから、血液が刃体に多量に付着して柄の部分にまで流れ込むといったような状況はなかったものと考える余地が十分にある。そして、犯人が洗面所で血の付着した手を洗っていることが推測されるからといって、包丁を握った手又は包丁の柄の部分におびただしい血痕が付着したことが推認されるというわけのものでもない。また、本件包丁の柄は、樹脂製で、しかも柄の両面にはいずれもその中央付近に四筋の溝が彫られている形態のものであって、指紋検出作業の結果、指紋の隆線が全く発現しなかったとされている(甲105)ことに徴すると、包丁の柄の素材及びその形態は、その性質上指紋が付着しにくいものであると考える余地もある。さらに、包丁の柄を握れば、その握った態様のいかんを問わず、包丁の柄の部分から指紋が必ず検出されるというわけのものでもない。

以上によると、被告人が素手で本件包丁を持ち、犯行に及んだとの供述に不自然なところはなく、自白が客観的証拠と矛盾するとはいえない。

ⅱ 包丁の発見された場所との符合性

包丁が発見された場所は流し台の引き出しの中であるが、流し台の下の扉を開けて包丁を取り出し、元あった場所に戻したという被告人の自白は、本件包丁が発見された場所とは大きく食い違い、自白と客観的証拠との間には矛盾がある。弁護人は右のとおり主張する。

そこで、検討するに、被告人は、本件犯行を最初に自白した上申書においては、「台所に行き、包丁を手にしたのです。」、「包丁は皿を洗うところの下に置きました。」とやや包括的な供述をするにとどまっているが、その後の検面調書では、「台所の包丁入れのところに置いていた包丁を右手に持ちました。」、「刺した包丁は、元あった同じ場所にしまいました。」(乙4)と具体的な供述をしている。ところが、その後の検面調書では、「台所の下の扉を開けて、包丁を右手に持ちました。」と述べた上、「包丁を元あった場所に戻しましたが、いつどの段階で戻したのか、よく考えて思い出して話します。」(乙6)などと述べ、発見場所とは異なる場所に一応包丁を戻した旨を供述した上、戻した時期については含みのある供述をしている。

犯行に用いた凶器の処理に係るこの争点については、被告人が犯行後の事後工作等の行動についておしなべてあいまいな供述をしているという先に検討した事情と共通するものを含んでいる点に留意すべきである(前記二、11、(三)、(3)、ウ。なお、二、11、(三)、(2)、ウ、ⅲ、②も参照)。そして、被告人の右のような供述状況にかんがみると、被告人の側に、事後工作等に係る行動との関連において、包丁を戻した時期及び場所についてややあいまいな供述をせざるを得ない格別の事情があったものと推認するのが相当であるから、発見場所とは異なる場所に包丁を戻した旨の自白があるからといって、そのこと自体から、被告人の自白全体の信用性が失われるということにはならない。他方、いずれにしても包丁が台所に戻されている点においては変わりがなく、被告人の包丁を戻した場所についての供述が、いずれの時点のことを述べたものであるのかはさておくとしても、客観的な状況と大きく食い違うとまではいえない。

ⅲ 掛け布団の損傷痕及び足跡様の痕跡との符合性

カバー付き掛け布団の上面及び下面には損傷痕があり、これらは刃物様の物で形成されたものである。そして、被告人の自白調書のうち一通(乙4)には、布団をかぶせて刺した旨の記載があるものの、他の自白調書中には、布団の上から刺した旨の供述は一切ない。また、掛け布団カバー上面には、血痕様の物が付着した足跡様の痕跡(種別不明の痕跡)が二か所あり、これは靴による痕跡と判断され、素足あるいは靴下を履いた足によるものではないと考えられる。ところが、靴を履いて布団の上に上がり、乙山を刺したなどという被告人の供述は皆無である。そうすると、被告人の自白は、客観的証拠と矛盾するというべきである。弁護人は、以上のとおり主張する。

そこで、弁護人の主張に関連させて、自白と客観的証拠との符合性という観点から検討するに、前記(二、5、(一))のとおり、掛け布団の端であるフリル付近の一角には、その上面と下面に損傷痕があり、右損傷痕は乙山が殺害される過程で形成されたものと考えられる。そして、被告人は、「布団を乙山の体の上にかぶせ、首を包丁で刺した。」(乙4)と供述しているところ、掛け布団をかぶせようとする場合に、掛け布団の中央部ではなく、その端のフリル付近の一角が乙山の頸部付近を覆う位置にかぶせられるということは十分にあり得ることであるから、被告人の右自白は合理性を有しており、自白と客観的な証拠との間に符合性が認められる。そうすると、その後の自白(乙6)の中において、たまたま布団の上から刺した旨の供述がないからといって、そのこと自体から、自白と客観的証拠との間に不一致があるとしてその自白の信用性が失われるというわけのものでもない。

足跡様の痕跡(種別不明の痕跡)の点については、弁護人の指摘するとおり、被告人が靴を履いて布団の上に上がったとの供述はない。ところで、この足跡様の痕跡は、実況見分調書(甲35)の本文に記載されているとおり、種別不明の痕跡であって、写真番号110から113までの近接撮影された写真に照らすと、足跡の一部のようにうかがわれる。ところで、一一月一〇日に現場に到着した救急隊員の恩田政晃は、乙山の死体を寝室で確認した際の状況について、ビニール製の足カバーを履き、ベッドに上がった旨供述(甲4)し、同じ救急隊員の菊池新伍も、ビニール製の足カバーを履いて、ベッドに上がった旨供述(甲5)している。また、右両名の供述によると、当時はめていたゴム手袋に血が付いたことも認められる。そうすると、救急隊員両名が現場に到着後、ベッドの上にビニール製の足カバーを履いて上がった際に、足カバーにも血液が付着する機会は十分にあったものと考えられ、血痕様の物が付着した足跡様の種別不明の痕跡は、右の者らによって印象されたものと推認することができる。

以上によると、被告人の自白の中に、靴を履いて布団の上に上がり、乙山を刺した旨の供述がないからといって、被告人の自白が客観的な状況と矛盾するということにはならない。

ⅳ ルミノール反応と被告人の行動との符合性

洗面所の洗面台上及びダイニング入口木製片開き戸のダイニング側がルミノール発光試験に陽性反応を示している点は、犯人が犯行後、血痕の付着した手でドアを開けて洗面所に行き、手を洗ったことを推測させる。ところが、被告人の自白中には、これらのルミノール反応に符合する犯行後の行動、例えば、洗面所で手を洗った等の行動についての供述が皆無であり、自白が客観的証拠と矛盾する。弁護人は、右のとおり主張する。

なるほど、自白調書中には、ルミノール反応に符合する被告人の犯行後の行動についての供述はない。しかしながら、これに関連する争点については、既に体験供述性の項(前記二、11、(三)、(3)、ウ)で詳しく検討した。すなわち、犯行後の行動についての供述がないことにそれなりの合理的な事情がうかがわれる本件においては、被告人の自白の中に犯行後の行動について供述をしていない部分があるからといって、被告人の自白が客観的な証拠と符合しないということにはならない。

(5)  被告人の弁解の不自然性・不合理性・虚偽性

被告人の弁解の合理性等の有無や程度は、自白の信用性の判断と密接に関係している。弁解の合理性等と自白の信用性とは、いわば裏腹の関係にあるといってよいであろう。当裁判所は、結論として、被告人の捜査及び公判における種々の弁解は不自然、不合理で、虚偽にわたる部分も含まれているため、右の各弁解がこれらに対応する自白の信用性を肯定する方向に働く積極要素になっているものと考える。そこで、以下、順次考察することとする。

ア  アリバイについての弁解の不自然性・不合理性

被告人は、当公判廷において、「甲野から長女の容態が悪いと電話で伝えられたため、着替えをし、乙山に断った上で病院に行き、看護婦から酸素吸入器の使用方法についての説明を受け、その後、病室のテレビで映画を見た」旨弁解し、弁護人は、被告人の自白による犯行時刻ころは、被告人は、病室でテレビ番組の特定の場面を見ていたのであって、被告人にはいわゆるアリバイがある旨主張する。

そこで、検討するに、まず、被告人が病室で見たと当公判廷(第二一回及び第二二回公判)で供述するアーノルド・シュワルツェネッガー主演の「キンダーガートン・コップ」の幼稚園で火事が起きた場面(第二一回公判)及び悪者が子供を連れて逃げるという場面(第二一回及び第二二回公判)は、それぞれ一一月九日午後一〇時三六分二〇秒ころ及び同日午後一〇時三八分ころ放映されたものと認められる(弁21)。他方、甲野から被告人に電話がかけられた時刻は、同日午後一〇時三五分三九秒から同日午後一〇時三六分三一秒までの約五二秒間であると認められる(甲112)。そこで、乙山方と病院との距離及び所要時間について検討してみるに、捜査報告書(甲42、44)によると、両者の直線距離は、約一七〇メートルで、被告人の供述する歩行コースに基づく総距離は約二五二メートルである。同コースの所要時間は、最短時間で約一分三〇秒、信号待ち及びエレベーターの待ち時間を考慮した最長時間で約三分二七秒である。被告人の捜査段階における供述によると、徒歩の場合、「五分から一〇分」程度かかり、第二二回公判における供述によると、信号待ちの時間を除いて「数分」であるという。以上の諸点を踏まえて考察すると、被告人が、甲野からの電話を受けた後、着替えをし、乙山に外出する事情を説明した上で病院に赴き、看護婦から酸素吸入器の使用方法についての説明を受けた後の時点で、病室のテレビで前記の特定の場面を見ることは、到底不可能であるといわざるを得ない。なお、被告人は、幼稚園で火事が起きた場面については、病室では実際には見ていない旨第二二回公判で供述し、第二一回公判での供述を変更しているが、アリバイに関する供述の一部を変更した理由については、合理的な説明をしていない。弁護人は、右テレビ番組の特定の場面に関する被告人の供述は、具体的で連続しており、明確かつ写実的で等質性もあるなどの諸点に照らして信用性が高いと主張するが、右の特定の場面を被告人が病室で見ることが到底不可能である以上、弁護人の主張はその前提を欠いているというほかはない。なお、被告人は、甲野から電話を受けた際、乙山方でも当該映画を見ていた旨供述しているところ、関係証拠上、ストーリーの展開が単純な娯楽映画のようにうかがわれるだけに、被告人が乙山方で見たその特徴的な場面を記憶していて、それを病室で見たかのように説明している可能性等も十分に考えられる。

次に、被告人は、捜査段階において、当公判廷におけるアリバイに関する弁解及びこれに沿う弁護人の主張と明らかに矛盾する供述をしている。すなわち、被告人は、検察官に対し、「甲野から自宅に電話があってから、私の鍵を持って自宅を出て病院に行ったが、花子ちゃんの病室に着くまでの時間は、二五分から三〇分くらいかかった」旨供述し、検察官から、急いで着替えて病院に駆け付ければ、到着するまでに要する時間は一〇分前後くらいと思われるが、なぜ二五分から三〇分もかかったのかと質問され、「着替えるのは一、二分でできると思いますし、一、二分で着替えたと思いますが、乙山に病院に行く話をしていたために、二五分から三〇分もかかったものであり、自宅から病院まで急いで行けば、一〇分もかからない時間で到着します。」(否認調書、乙8)と答えている。被告人の捜査段階における右の供述は、当公判廷における被告人のアリバイについての弁解の不自然性、不合理性を如実に示すものといえる。

以上の次第で、仮に、一一月九日午後一〇時三八分ころ放映された前記テレビ番組の特定の場面を被告人が記憶しているからといって、被告人がテレビでその特定場面を見ていた場所が病室であったなどと限定することは到底できないので、被告人にいわゆるアリバイが成立する余地はなく、アリバイが成立する旨の被告人の弁解は著しく不自然で不合理であるというべきである。

イ  上申書の記載内容に関する被告人の弁解の不自然性・不合理性

被告人は、上申書の記載内容に関して、当公判廷において、以下のとおり弁解している。

ⅰ 甲野から電話がかかってきた後に、乙山との間で争いをしたと書いた理由について

被告人は、「私がその家にいた時間はその時間しかなかったので、考えられるのはそれしかなかった。」と述べている。

ⅱ 乙山が被告人に述べた言葉として、「花子ちゃんが死ねばいい。」ということを書いた理由について

被告人は、「乙山さんは一切そういうことを言わなかったが、何か書かなければいけないと思った。二人でけんかする理由の一つは花子ちゃんのことだけであり、乙山さんが言わなくとも理由をつけなければならないので、それしか考えられなかった。」と述べている。

ⅲ 乙山が「花子ちゃんが死ねばいい。」と一回だけでなくて何度も言ったと書いた理由について

被告人は、「一回だけ書いても、乙山さんとのけんかの原因にはならないと思っていたし、警察の方も絶対信じてくれないと思っていた。繰り返して言っていたというふうに書けば信じてくれると思った。」と述べている。

ⅳ 包丁を手にした後、乙山を刺す前に、包丁を手に取って被告人と乙山とがやり取りをした旨書いた理由について

被告人は、「そのときは会話はなかったと思う。ただ私が書いたのは、彼は、私が病院へ行くのを止めていたので、そういう内容だと思いますが。」と述べている。

ⅴ 乙山を刺した後の行動について書いた理由について

被告人は、「本当はどういうふうに書けばいいのか、自分でも迷っていた。ただ、警察にはどうせストーリーを作るなら完璧にやらないとだれも信じてくれないよと何回も言われた。私は具体的なことはあんまり頭の中に入っていなかったが、どうやったら信じてくれるのか、よく考え直して書き出した。」と述べている。

以上のとおり、上申書の記載内容に関する被告人の弁解の幾つかを公判供述の中から摘出したが、右の弁解には、説得力がなく、甚だ不自然で不合理な点が多々含まれている。

ウ  捜査及び公判段階におけるその他の弁解の不自然性・不合理性・虚偽性

ⅰ 乙山の被告人に対する不満の様子等の有無に関する弁解の不自然性

被告人の当公判廷における供述には、全般的に不自然さが目立ち、ことさら自己に有利な結果をもたらそうとする意識に強く支えられた内容のものが多く含まれている。弁解の不自然性を示す公判供述の一例としては、まず、乙山の被告人に対する不満の様子等の有無に関する供述が挙げられよう。すなわち、被告人は、当公判廷において、乙山が長女を交えた三人の生活よりも被告人との二人だけの生活を望んでいるように感じたことがあったかどうかを検察官から質問され、「考えたことはありません。」、「そういう素振りを乙山さんが見せたことはありません。」などと答え、さらに、一一月八日に甲野を乙山方に入れたことについて乙山が怒っていたかどうかといった点について質問されると、「怒ってません。」と答え、検面調書(否認調書、乙8)に被告人の公判供述と矛盾する供述記載部分がある(前記二、3、(三)及び二、4、(一)、(2))旨を指摘されると、「分かりません。」、「覚えてません。」などとあいまいかつ不自然で回避的な供述を繰り返している。また、一一月九日午後九時ころ、乙山方に戻った際、乙山が怒っているような顔をしていたかどうかという点について、検面調書に乙山が怒っているような顔をしていた旨の記載がある(前記二、4、(二)、(7))点を検察官から指摘されると、「乙山さんがどんなに悪い人なのかという趣旨の質問だったので、そういうふうになっていると思います。だけど、私はうそをついたのです。というのは、乙山さんがどんなにいい人か、そればかり言うと、どうせ信じてくれませんので、私はうそをついて、そういう乙山の悪口も言ったことがありました。」などと答えている。しかし、右の弁解が不自然であることは、その弁解内容自体に照らしても明らかである。

ⅱ 発見時に乙山の死亡を認識しなかった旨の弁解の不自然性・不合理性

被告人は、ベッドの上の乙山を発見した際の行動について、捜査段階において、大略、次のとおり供述している(否認調書、乙9、11)。

被告人は、「シャツの下付近のベッド上や、乙山の首や頭の付近が血でべっとりしていた。私は、ベッドの上に昇り、乙山の背中と腰の辺りに膝を乙山の体にくっつけるようにしてひざまづいて、乙山を抱いた。私の左手は、乙山が頭付近に位置させている左手の上を通って、乙山の左胸に触った。私の右手を乙山の首の右側の下に当て、私の体の正面を全部乙山の背中に付けて、乙山を抱いた。私の胸や首付近に乙山の頭、顔付近をぴたっと押し付け、接触する形で乙山を抱いた。乙山は全く動かなかった。乙山を抱いている私の両手を離し、ベッドから降りたが、再びベッドに昇り、背中と腰の付近にひざまづき、乙山の背中に胸を付け、乙山の左肘付近を両手でつかみ、乙山の体を揺さぶったが、乙山は、全く動かなかった。」、「二回目にベッドに昇り、乙山の左肘付近を両手で触り、体全体を揺するようにしたとき、乙山の左手が首からずれ、首に二、三センチの、何かで切れている傷が一つあるのが分かった。顔や頭や手などを見たが、他に傷はなかった。」と供述し、さらに、乙山が死亡していると思わなかったか、との質問に対して、「死んでいるかもしれないし、はっきりは分からず、もしかしてすぐ病院に運んで手当てをすれば、生き返るかもしれないと思った。」旨供述している。そして、被告人は、「救急車の人が来て、既に乙山は死亡しているので動かせないと言ったので、その言葉で乙山が完全に死んでいることがはっきり分かった。」(乙9)などと、救急隊員が現場に到着した後における救急隊員の言動によって、初めて乙山の死亡を確認したかのような供述をしている。

しかしながら、被告人が乙山方の室内にいた三〇分程の間に(前記二、10、(三)参照)、ベッド上で乙山の身体と密着する前記のような行動をとったのであれば、そして、乙山が死体で発見された当時の客観的状況(前記二、4、(三)、(3)及び二、5)をも併せ考えれば、被告人には、乙山の死亡が容易に認識できたはずである。ところが、被告人は、第九回公判においても、乙山の死亡を知ったのは一一月一二、三日ころである旨その生存の可能性について固執する態度を変えていないばかりか、第二二回公判においても、「乙山を抱きかかえた時には、自分の右手が乙山の肩と首の後ろの真ん中辺りに触っていた。」旨述べた上、弁護人から自分の体重を預ける形で乙山を抱いたのかどうかを尋ねられ、体重を掛けていないと述べ、その理由として「もうそのままの状態で、もう苦しそうだったので、私の体重を掛けると息ができなくなるかなと思った。」旨述べている。そして、被告人は、救急隊員からは、乙山が死亡していることについては一切聞いていない旨、捜査段階の否認調書の内容とも矛盾する供述をしている。

以上、要するに、乙山の生存の可能性に固執する被告人の捜査及び公判段階における弁解は、著しく不自然であり、不合理であるというべきである。

ⅲ 着衣への血痕付着状況についての弁解の不自然性・不合理性・虚偽性

被告人は、その着衣や手に血が付いた経緯について、捜査段階において、大略、次のように供述している(否認調書、乙9、11)。

被告人は、「掛け布団をはぐった時、掛け布団の上の方に血が付いていたために、私の両手に血が付いた。手に付いた血や掛け布団に付いた血は、べたついており、乾いていなかったので、手には血がべたっと付いた。」と述べた上、前記ⅱのとおりの態様で乙山を抱いた旨述べ、これに続けて、「私がその時に着ていた服装は、病院から帰った後に着替えをしておらず、グレーのカーディガン、ジャンパースカート、黒の長袖シャツ、黒のぬれている靴下姿だった。着ていたグレーのカーディガン、ジャンパースカート、黒の長袖シャツに血がべたっと付いたと思うが、乙山を愛しているので、血が付いてもいいと思い、乙山を抱いた。どこに血が付こうが気にはしなかった。カーディガンのボタンはかけておらず、ジャンパースカートの上側を乙山の体にぴたっと押し付けたので、ジャンパースカートには血がべたっと付き、カーディガンの左ポケットに血が付いていた(乙9)。ベッドの上に上がったので、靴下にも血がべたっと付いたと思う(乙11)。しかし、乙山の血が付いてもいいと思ったので、その後血をふいたりしなかったし、私の着ている衣類が黒っぽいので血が目立たず、着ている物を洗ったりもしなかった(乙9)。」と述べている。

そして、弁護人も、救急隊員の手袋にも乙山の血液が付着していた点を指摘し、被告人の着衣の血痕は、被告人が乙山の死体を発見した際に、乙山に抱き付いたために付着したものと考えても不自然ではないとして、被告人の弁解に沿う主張をしている。

しかしながら、被告人の着衣に血液がべたっと付着した旨の被告人の弁解は、着衣に付着している血痕がいずれも非常に小さい大豆大あるいは米粒大といったようなものであるという客観的な状況(前記二、7、(一))と明らかに矛盾する。そして、被告人の着衣の血痕は飛沫痕と認められるのであって、仮に被告人の着衣が乙山の死体に直接触れたことにより付着したものとすれば、もう少し大きい血痕として、幅広くこすり付けたような状態に付着するはずである旨の法医学の専門家の所見(前記二、7、(二))とも整合性を欠くものである。被告人が乙山の死体を発見した当時は、血痕が既に乾きかかっており、血液のしぶきが飛び散るような状態ではなかったこと(前記二、7、(三))を併せ考慮すると、血痕付着状況に関する被告人の弁解は、明らかに虚偽であると認めざるを得ない。

なお、救急隊員らの手袋の血痕の付着(甲4、5)の態様については、関係証拠上、不明であるとされていて(弁25)、それらが飛沫痕であったとの証跡はない。血痕の付着の状態には飛沫痕のようなものもあればそうでないものもあり、様々なものがあり得ることからすると、救急隊員の手袋に血痕が付着したからといって、そのことから直ちに、被告人の着衣の血痕も乙山の死体発見時に付着したものということはできない。

被告人が、自己の着衣への血痕付着状況という、被告人と犯人との同一性を強く推認させる重大な事柄について、明らかに虚偽の弁解をしているという点は、経験則に照らし、被告人が犯人であることを強くうかがわせる間接事実の一つとみてよい。

ⅳ ボウルについての認識の有無に関する弁解の不自然性・不合理性

被告人は、捜査段階において、台所にあったボウルを示され、「このボウルは乙山さんの部屋にあり、乙山さんの奥さんや君が使っていたものではありませんか。」と質問され、「見たことはありませんし、私が触ったり、使ったりしたこともありません。」と弁解している(否認調書、乙11)。

しかし、被告人の弁解は、水滴の付いたボウルに人血の付着が認められ、右ボウルから被告人の右手拇指指紋及び右手掌紋が検出されているという客観的状況に照らして明らかに不自然であり、不合理でもある。なお、被告人は、その後の取調べにおいて、「今年の九月中旬ころ、洗面所の下のキャビネットにあるピンク色のボウルに一度触りました。しかし、このボウルの形を覚えていないので、今見せられたボウルと同じかどうか分かりません。」(否認調書、乙12)などと、その不自然で不合理な弁解の一部を修復するかのような弁解をしている。

ⅴ 病院関係者らに対する被告人の言動の有無に関する弁解の不自然性・虚偽性

被告人は、捜査段階において、前記病院の事務員ら及び救急隊員に対して、乙山が死んでいることについて何か言ったりしたかどうかについて質問され、「その人達とは、私の方から話し掛けたり、聞かれたりしたことはありませんでした。」と答え、さらに、「この男の人の奥さんが仙台から出て来ることになっており、奥さんが包丁を持って暴れたりする人で、奥さんが刺したと思う旨のことを述べなかったか。」(前記二、4、(三)、(3))と質問され、「そんなこと病院の人達三人には話していませんし、救急車の人にも話していません。」などと、病院の事務員ら及び救急隊員等の関係者らの供述と矛盾する弁解をしている(否認調書、乙9)。関係者らにとっては、仙台にいる乙山の妻が上京の予定であるというような事柄については被告人から聞かなければ知る由もないことであるから、このような内容を含んだ関係者らの供述は、その信用性が極めて高く、関係者らと話したことがない旨の被告人の弁解は、明らかに虚偽の弁解であるといわざるを得ない。なお、被告人は、その後の取調べの際には、「私は乙山さんが血だらけになっているのを見て、ショックを受け、病院の人や消防署の人に何と言ったのか覚えていません。」(否認調書、乙12)と虚偽の弁解の一部を修復するための弁解をしている。

ⅵ 乙山の妻が犯行現場に来たと思った旨の弁解の不自然性

被告人は、捜査及び公判段階において、一一月一〇日の朝、乙山方に入った際、強い香水のにおいがしたり、乙山のバッグが開いていたことから、自分の留守中に乙山の妻が来たと思った旨弁解し、被告人と乙山が一緒になっているところを自分の目で確かめるために、予定の一一月一五日よりも早めに来たのではないかと思った旨述べている(第二二回公判、否認調書、乙9)。しかし、前日の夜遅くから当日の早朝までの間に乙山の妻が来たと思った旨の被告人の弁解は、あまりにも非常識で不自然であるし、自己の愛用する香水の臭いがしたこととの関連において乙山の妻が来たものと思った旨を述べる被告人の弁解も、不自然である。不自然な弁解によって自己の刑事責任を免れようとする供述態度は、被告人が犯人であることをうかがわせる方向に働く間接事実の一つであるといえる。

(6)  小括

自白の信用性に関して分析した以上の諸点を総合して判断すると、被告人の捜査段階の自白は、信用することができるというべきである。

12 総括

以上に検討した諸事情を総合的に考察すると、被告人が本件殺人事件の犯人であると認めるのが相当である。

三  殺意の認定

関係証拠によると、本件凶器は刃体の長さが約16.7センチメートルの刃先の鋭利な包丁であると認められること、乙山の創傷の部位は頭部、頸部といった身体の枢要部であり、創傷の数も多数に上ること、乙山の延髄が切断されており、頭蓋骨内には包丁の先端部分と認められる金属片がはまり込んでいること、包丁自体も柄と刃体の付け根部分から曲がってしまっていることの各事実を認めることができる。これらの事実に徴すると、乙山に対する攻撃は、殺傷能力の高い凶器によって、その身体の枢要部をめがけ、多数回にわたり、相当強い力を加えてなされたものであることが明らかである。そうすると、右のような間接事実自体に照らし、被告人は、殺意をもって、判示の犯行に及んだものと認めることができる。

四  結論

以上の次第で、被告人は、判示日時ころ、判示の経緯から、殺意をもって、乙山を殺害したと認めるのが相当であるから、これに反する被告人の弁解は信用せず、弁護人の主張は採用しない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役八年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中五〇〇日を右刑に算入することとし、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

本件は、被告人が、判示の経緯から、同棲していた男性を刺殺したという事案である。

犯行の態様についてみると、被告人は、鋭利な包丁で、被害者の頭部、頸部といった身体の枢要部を力一杯に刺し、頸部に延髄を切断するという致命傷を負わせている。本件は、一方的で、極めて執拗かつ凄惨な犯行である。被害者にはこのような被害に遭わなければならない程の落ち度はなく、三〇歳という若さで人生を終えることを余儀なくされた被害者及びその遺族の無念さは、察するに余りある。松戸市内のマンションに住む会社員が、早朝、死体で発見された事件として、本件が地域住民に与えた社会的影響にも軽視し得ないものがある。以上によると、本件の犯情は悪く、被告人の刑事責任は重い。

しかしながら、他方、被告人には、当初から被害者を殺害するつもりがあったわけではない。被告人が再三にわたり夫と長女のもとに出掛けることに対して不満を募らせていたとはいえ、被害者の被告人に対する対応にもう少し温かい配慮があれば、最悪の事態の発生は回避されていたのではないかと考えられる。母親としての被告人の心情を酌むことができず、被害者との結婚について一抹の不安を抱いていた被告人の気持ちを逆なでし、絶望感を抱かせるような情の無い言葉を発して被告人を病院に行かせまいとした被害者の行動には、本件犯行を強く誘発した一面があったといえる。被告人は、異国の地での長期にわたる服役や長女の将来についての不安などもあってか、捜査段階の途中から本件犯行を否認しているものの、これまで愛情をもって接してくれた被害者を殺害してしまったことについて、深い後悔の念にかられているようにうかがわれる。現在二七歳の被告人には、本邦における前科前歴がなく、満六歳の長女もいる。これらの諸点は、被告人にとって酌むことのできる事情である。

そこで、以上の諸事情を総合して考慮し、主文のとおり量刑した。

よって、主文のとおり判決する。

(求刑 懲役一二年)

(裁判長裁判官田中康郎 裁判官荒川英明 裁判官有賀貞博)

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